
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第1章 始まりの夜
「だからですよ」
トンジュが悪戯っぽい笑みを浮かべた。〝よく考えてみて下さい〟と、彼はサヨンにほんの少しだけ顔を近づけた。
「李家の旦那(ナー)さま(リ)にとっては、家門もご子息の体面もどちらもが大切です。では、その両方を守り抜くために、李家の旦那さまが下手に騒ぎ立てることが良策だと判断されるでしょうか?」
あ、と、サヨンが叫び声を上げる前に、大きな手のひらで口許を覆われた。
「大きな声を出さないで下さい。俺たちがここにいることを知られてしまっては、すべてが台無しになりますよ?」
トンジュはすぐにサヨンから手を離したが、唇には男の手の温もりと感触が長く残った―。
彼の手が触れたのはたった一瞬だけなのに、何故、触れられたときの感触がこうも生々しく膚に残っているのだろう。
サヨンが考えに耽っている間にも、トンジュは淡々と続けた。
「可能性としては二つあります。もちろん、李家の旦那さまが烈火のごとくお怒りになり、うちの旦那さまに真っ向から報復を挑まれることもないとはいえません。ですが、俺が李スンチョンさまなら、そんな馬鹿げた子どもじみた真似はしません。たとえ面目を潰されたと腹の内は煮えくり返るように口惜しくとも、事を荒立てたりはしないでしょうね。騒げば騒ぐほど、かえって李家の家門とご子息の名に傷をつけることになる。李氏の倅は婚礼前に許婚に逃げられた甲斐性なしだと何もわざわざ悪い噂をひろめる必要はありませんから」
最後の台詞に、サヨンは心をつかれた。
たとえ大嫌いな触れられるのも嫌な男でも、トクパルが傷つくことを心から望んでいるわけではないのだ。
サヨンの逡巡を見透かしたかのように、トンジュが優しく言った。
「あの男とは結婚したくないんでしょう?」
畳みかけるように言われ、サヨンはうなだれた。
父を取り、自らの心を殺して、李トクパルに嫁ぐか。
それとも、今だけは、自分の心の叫びに忠実に生きるべきか。
トンジュが悪戯っぽい笑みを浮かべた。〝よく考えてみて下さい〟と、彼はサヨンにほんの少しだけ顔を近づけた。
「李家の旦那(ナー)さま(リ)にとっては、家門もご子息の体面もどちらもが大切です。では、その両方を守り抜くために、李家の旦那さまが下手に騒ぎ立てることが良策だと判断されるでしょうか?」
あ、と、サヨンが叫び声を上げる前に、大きな手のひらで口許を覆われた。
「大きな声を出さないで下さい。俺たちがここにいることを知られてしまっては、すべてが台無しになりますよ?」
トンジュはすぐにサヨンから手を離したが、唇には男の手の温もりと感触が長く残った―。
彼の手が触れたのはたった一瞬だけなのに、何故、触れられたときの感触がこうも生々しく膚に残っているのだろう。
サヨンが考えに耽っている間にも、トンジュは淡々と続けた。
「可能性としては二つあります。もちろん、李家の旦那さまが烈火のごとくお怒りになり、うちの旦那さまに真っ向から報復を挑まれることもないとはいえません。ですが、俺が李スンチョンさまなら、そんな馬鹿げた子どもじみた真似はしません。たとえ面目を潰されたと腹の内は煮えくり返るように口惜しくとも、事を荒立てたりはしないでしょうね。騒げば騒ぐほど、かえって李家の家門とご子息の名に傷をつけることになる。李氏の倅は婚礼前に許婚に逃げられた甲斐性なしだと何もわざわざ悪い噂をひろめる必要はありませんから」
最後の台詞に、サヨンは心をつかれた。
たとえ大嫌いな触れられるのも嫌な男でも、トクパルが傷つくことを心から望んでいるわけではないのだ。
サヨンの逡巡を見透かしたかのように、トンジュが優しく言った。
「あの男とは結婚したくないんでしょう?」
畳みかけるように言われ、サヨンはうなだれた。
父を取り、自らの心を殺して、李トクパルに嫁ぐか。
それとも、今だけは、自分の心の叫びに忠実に生きるべきか。
