白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~
第1章 夢
夢
通(みち)継(つぐ)は二、三度瞬きを繰り返してから、眼前にひろがる光景に眼を瞠った。彼の周り一面を白い靄が取り巻いている。乳白色のそれは薄くなるどころか、刻が経つにつれ、どんどん濃さを増してゆく。既に、一寸先も見えぬほど、彼の行く手は深い霧によって遮られている。
通継は泳げない人間が水中で溺れまいと懸命にもがくように、両手を振り回した。しかし、彼の腕(かいな)は空しく宙を泳ぐばかりだ。
―不思議なこともあるものだ。
通継は眼をしばたたき、目下のところ、己れが置かれた状況について考えた。
今、この瞬間、自分が感じているものすべてが現実のものではない。―即ち夢の中であることは判っているはずなのに、何故か夢の中のような気がしない。ひんやりとした大気も白い霧もすべてが怖ろしいほどの現実感を伴って迫ってくる。
やがて、彼方から人のどよめきにも似た物音が響いてくる。いや、やはり、あれは物音などではない、怒号だ。あまたの兵が集(つど)い、一団となって押し寄せてくる音、兵たちの声に混じってかすかに聞こえるのは馬のいななき。
そう、ひたひたと押しよせる死に神の脚音にも似た敵軍の向かってくる音だ。ああ、自分は何度、夢の中でこの音を耳にしたことだろう。遠い日、生まれ育った城が落ち、燃え尽きていったあの悪夢のようなひとときを幾度夢に見ただろう。
と、突如として、彼を包み込む白い靄が赤く染まる。通継の思考はそこで、ふっと途切れた。その間にも、ほら貝の音、勝ち鬨(どき)を高らかに上げる敵兵の勝利の雄叫びは次第に高まり、通継は思わず両耳を手で塞いだ。
紅く染まった白い靄は、さながら燃え盛る焔のようだ。城を焼き、そこに住まうすべての人をも灼き尽くす魔物の紅い舌。
―父上、母上ッ!!
通継は声を振り絞る。
早く父母を助けにゆかなければ、あの紅い魔物に大切な両親や妹が喰われてしまう。そこで通継はグッと両手の拳に力を込めた。
―大切な、私の妹。
はるか昔、落城間際の城からひそかに逃れた幼い通継と一つ違いの妹はほどなく追っ手に捕らえられ、妹は敵方の大将の妻にと望まれた。その婚礼の三日前、妹は自ら生命を絶ったのだ。
通(みち)継(つぐ)は二、三度瞬きを繰り返してから、眼前にひろがる光景に眼を瞠った。彼の周り一面を白い靄が取り巻いている。乳白色のそれは薄くなるどころか、刻が経つにつれ、どんどん濃さを増してゆく。既に、一寸先も見えぬほど、彼の行く手は深い霧によって遮られている。
通継は泳げない人間が水中で溺れまいと懸命にもがくように、両手を振り回した。しかし、彼の腕(かいな)は空しく宙を泳ぐばかりだ。
―不思議なこともあるものだ。
通継は眼をしばたたき、目下のところ、己れが置かれた状況について考えた。
今、この瞬間、自分が感じているものすべてが現実のものではない。―即ち夢の中であることは判っているはずなのに、何故か夢の中のような気がしない。ひんやりとした大気も白い霧もすべてが怖ろしいほどの現実感を伴って迫ってくる。
やがて、彼方から人のどよめきにも似た物音が響いてくる。いや、やはり、あれは物音などではない、怒号だ。あまたの兵が集(つど)い、一団となって押し寄せてくる音、兵たちの声に混じってかすかに聞こえるのは馬のいななき。
そう、ひたひたと押しよせる死に神の脚音にも似た敵軍の向かってくる音だ。ああ、自分は何度、夢の中でこの音を耳にしたことだろう。遠い日、生まれ育った城が落ち、燃え尽きていったあの悪夢のようなひとときを幾度夢に見ただろう。
と、突如として、彼を包み込む白い靄が赤く染まる。通継の思考はそこで、ふっと途切れた。その間にも、ほら貝の音、勝ち鬨(どき)を高らかに上げる敵兵の勝利の雄叫びは次第に高まり、通継は思わず両耳を手で塞いだ。
紅く染まった白い靄は、さながら燃え盛る焔のようだ。城を焼き、そこに住まうすべての人をも灼き尽くす魔物の紅い舌。
―父上、母上ッ!!
通継は声を振り絞る。
早く父母を助けにゆかなければ、あの紅い魔物に大切な両親や妹が喰われてしまう。そこで通継はグッと両手の拳に力を込めた。
―大切な、私の妹。
はるか昔、落城間際の城からひそかに逃れた幼い通継と一つ違いの妹はほどなく追っ手に捕らえられ、妹は敵方の大将の妻にと望まれた。その婚礼の三日前、妹は自ら生命を絶ったのだ。