白虹(龍虹記外伝)~その後の道継と嘉瑛~
第1章 夢
むろん、妹が城を焼き払い、父母を殺した憎んでも憎み切れぬ敵方の総大将木檜(こぐれ)嘉瑛(よしてる)のものになることを厭うたがためであった。可哀想に、どれだけ辛かったろう。そのときの妹の心を思う度、通継は居たたまれない想いになるのだった。
落城に際し、父母は遺してゆく幼い二人に長戸家の未来を託した。即ち通継には長戸の家を、そして妹姫にはその血を絶やさぬことを。
通継が生を受けた長戸家は室町幕府を開いた初代将軍足利尊氏の血を受け継ぐ名門であった。尊氏の庶子である元氏が長戸の姓を名乗り初代となったのが、その始まりである。木檜嘉瑛は、その足利将軍家の流れをも汲む名門の血を我が家系にも取り込みたかったのである。
嘉瑛の祖父嘉哲(よしあき)は元は油商人であり、下剋上の風潮に乗り、己(おの)が仕える主人を誅して主家になり代わった、いわば成り上がり領主であった。名門の血に対するコンプレックスは嘉哲を経てその孫嘉瑛にまで及んでいたのだ。
嘉瑛が通継の父長戸通親に戦をしかけてきたのも、通親が再三に渡る嘉瑛からの縁組の申し込みを断ったからであった。むろん、嘉瑛が妻に申し受けたいと望んだのは、通継の妹万寿(ます)姫であった。自ら生命を絶った時、妹はまだ十四歳だった。あの泣き虫で甘えん坊の大人しかった妹に、自害して果てるほどの強さが秘められていたとは正直、通継は考えてもいなかった。
しかし、万寿姫もまた、
武門に生まれた女であった。
幾ら大人しやかな姫であろうと、物心ついたそのときから、敵方の手に落ち、万が一辱めを受けるような事態に陥れば、自害して果てるようにと言い聞かされて育ったことは言うまでもない。
たった一人の妹に対して、通継は何もしてやれなかった。共に敵方に捕らわれの身となってからというもの、通継は捕虜として地下牢に幽閉されており、漸く牢から出ることを許された後は、嘉瑛の小姓として常にその傍に従うことを余儀なくされた。妹とは捕らわれの身となって以来、一度もあいまみえることはなかったのだ。
ふいに一陣の風が吹いた。まさに突風といって良いほどの強風が真正面から吹きつけてくる。まるで獣の咆哮にも似た唸りが通継の傍を駆け抜けていった。
落城に際し、父母は遺してゆく幼い二人に長戸家の未来を託した。即ち通継には長戸の家を、そして妹姫にはその血を絶やさぬことを。
通継が生を受けた長戸家は室町幕府を開いた初代将軍足利尊氏の血を受け継ぐ名門であった。尊氏の庶子である元氏が長戸の姓を名乗り初代となったのが、その始まりである。木檜嘉瑛は、その足利将軍家の流れをも汲む名門の血を我が家系にも取り込みたかったのである。
嘉瑛の祖父嘉哲(よしあき)は元は油商人であり、下剋上の風潮に乗り、己(おの)が仕える主人を誅して主家になり代わった、いわば成り上がり領主であった。名門の血に対するコンプレックスは嘉哲を経てその孫嘉瑛にまで及んでいたのだ。
嘉瑛が通継の父長戸通親に戦をしかけてきたのも、通親が再三に渡る嘉瑛からの縁組の申し込みを断ったからであった。むろん、嘉瑛が妻に申し受けたいと望んだのは、通継の妹万寿(ます)姫であった。自ら生命を絶った時、妹はまだ十四歳だった。あの泣き虫で甘えん坊の大人しかった妹に、自害して果てるほどの強さが秘められていたとは正直、通継は考えてもいなかった。
しかし、万寿姫もまた、
武門に生まれた女であった。
幾ら大人しやかな姫であろうと、物心ついたそのときから、敵方の手に落ち、万が一辱めを受けるような事態に陥れば、自害して果てるようにと言い聞かされて育ったことは言うまでもない。
たった一人の妹に対して、通継は何もしてやれなかった。共に敵方に捕らわれの身となってからというもの、通継は捕虜として地下牢に幽閉されており、漸く牢から出ることを許された後は、嘉瑛の小姓として常にその傍に従うことを余儀なくされた。妹とは捕らわれの身となって以来、一度もあいまみえることはなかったのだ。
ふいに一陣の風が吹いた。まさに突風といって良いほどの強風が真正面から吹きつけてくる。まるで獣の咆哮にも似た唸りが通継の傍を駆け抜けていった。