恋人⇆セフレ
第5章 俺の犬
俺は今更、こいつに酷いことをして離れようとは、微塵も考えていないことに気がついた。
見つめ合うこと数秒。ふわりと手首の拘束が解けて、その手で伊織が口元を覆う。
滑らかな伊織の肌は、ほんのり赤みを帯びている。
「それ、でもいいです。今、あの人じゃなくて俺のことを考えてくれてるなら、嬉しいです」
「…馬鹿、怒れよ」
何度言ったか分からない「馬鹿」って言葉にも、嬉しそうに笑うこいつ。
どれだけ心が寛大なんだ。まだ好きになれるか分からないけど、そばにいて欲しいっていうワガママな俺の選択にも、こうして笑ってくれるのか。
キュッと、甘い何かに締め付けられた。
「志乃さん」
「っ」
伊織は、優しく俺の頬を撫でると、ギッとソファを軋ませて、体を寄せた。吐息が触れるほど近い距離で、意志の強い瞳に貫かれる。
「もっかい、呼んでください」
その声に、揺らぎはなかった。低いなだらかな声が、俺の心をザワザワと動かしていく。
「伊織…」
絞り出した声は掠れていた。けど、伸ばした手は迷いなく、硬くなった目の前の男のソレに触れる。
ピクッと僅かに体を揺らした伊織は、何も言わずに俺を見ていて。
チクッタクッという時計の音と、空調の音だけが響く部屋の中で、お互い見つめ合う。