恋人⇆セフレ
第5章 俺の犬
「……」
俺はそれには返事をせずに、頭を少しだけ動かして伊織の肩に唇を押し付けた。
ピクッと小さく体を揺らした伊織も、俺の耳の裏にソッと唇をつける。
「志乃さん、逃げるなら今しかないですよ」
「っ」
そして、唇をつけたまま囁かれ、かかった吐息はヤケドしそうなほど熱く。
その熱に欲情した俺の心臓も、伊織の心臓の音と共鳴するように激しく脈打ち出し、ぎゅっと強く目を瞑った。
ーーーーーーー『俺は、お前を好きじゃなかったことなんて、一度もなかった』ーーーーーー
ある日のアイツの言葉がふっとよぎる。
一度もない、ではなく、一度もなかった。
真木がはっきりと口にしたのは、過去形だった。アイツは、もうとっくに俺のことなんて吹っ切れている。
…ていうかアイツが俺を振ったからとっくの昔に吹っ切れてて。今は俺の知らねえ女と付き合ってて。
多分、セックス、してて。
俺だけが、置いてけぼりになっていた。
ーーそんな俺の手を強く引っ張ったのが、今俺を抱き締めている犬。
健気に俺を待って、俺の言うことにころころ表情を変える、ポメラニアンみたいなシェパード犬。俺の、犬。
俺だけの、伊織。
伊織を受け入れるか、受け入れないかーーー…さっきまで考えていた選択肢の1つに、矢印ははっきりと動いた。
「ーー今までの俺を全部、お前にやる。
俺を抱いて、伊織」
「ーーーーー」
震える声でそう言うと、ギュウッと抱きしめる力が強くなった。
暗に、真木にやっていた心も体も、思い出も、全部やるということだ。つまり、伊織で塗り替えてくれと、気恥ずかしいから遠回しで言ったんだけど。
伊織にはきちんと伝わったらしく、「やば、嬉しい」なんて、語彙力が乏しい歓喜の言葉を口にして、僅かに体を離した。