恋人⇆セフレ
第8章 したい、させたい
ーーーと、
「っ」
気持ちが散漫しすぎたせいで、ソーサーにカップを乗せようとしたところで手から滑り落ちてしまった。
ガシャンッと大きな音を立てて転がったカップから、勢いよく琥珀色の液体が広がっていく。
ーーしまった…!やばい、この人にかかる…!
そう思った時には、カウンターに広がる珈琲を堰き止めようと手で壁を作り、熱々のそれを躊躇いなく受け止めていた。
「あつ、」
「っ何してるんですか!」
触れた熱に顔を歪めた刹那、飛んできた怒声に戸惑うより先に、手を強く掴まれてしまう。
「すぐに冷やしてください」
「それより、ハンカチ…!」
見ると、その人は綺麗なブルーのハンカチでカウンターを侵食しようとしていた珈琲を押さえていた。
じわじわと茶色く染まっていくハンカチを見て、顔からサッと血の気が引いていく。
「早くそれ洗わないと…!あとクリーニング…「ハンカチよりも、貴方の手の方が大事でしょう」
「ーーー…、」
言葉を遮られ、鋭い漆黒の瞳に射抜かれると、もう一ミリも動けなくなってしまう。
「赤くなってるじゃないですか」
普段は冷静な声色しか聞いたことがなかったのに、俺の手を本気で心配する声を出されては、無理矢理抑えていた蓋をこじ開けられる思いだった。
「早く冷やしてください。珈琲はその後で大丈夫なので」
「ありがとう、ございます」
昔から女性ではなく男性しか好きになれなかった伊織にとって、好みドンピシャの志乃の優しさは毒だ。
一度刺されてしまったら取り出せず、全身を回るに決まっている。
それにーーー同類の勘か、志乃も“こちら側”だと思っている分、余計な期待は持ちたくなかった。
けれど、もう毒が回りだしているのが嫌でもわかってしまう。
ダメなのに。
だって、この人はもう…