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夜の影

第28章 Introduction~STORM~

【紀之side】

「……や、めない」

「聞こえない」

意地悪く言ったつもりの自分の声が、妙に優し気で。

ああ、俺は。
家族の愛を失って孤独に耐えているこいつを、憐れに思っているのだ。

いつかの自分を見ているようで。

我ながら滑稽なことだ。

「やめない」

にじり寄って来ると、智は俺の頬に触れて、遠慮がちに唇 を重ねた。

可愛らしく啄んでくるが、そこから先には一向に進まない。

揶揄うつもりはなかったが、笑いそうになっている俺に気づいて智は顔を離した。

「……なんだよ?」

汗で髪を湿らせて、目も潤んでるくせに。
拗ねた顔で唇を尖らせているのが、やたらと幼くて。

これは上客がつくだろう、と思いながら眺めた。

しかし、今回智を遣うのはあくまでも予定外、イレギュラーだ。この子を今後も「暁の玉」にする気はない。

本来なら躰を売る必要がなかったこいつを遣うとなれば、サカモトには悪いが智の安全が最優先だ。
情報が欲しいのは山々だが、その為に危険に晒すわけにはいかなかった。

最悪、顧客の顔を潰さなければ良いのだ。

そもそもはマツオカを贔屓にしている客から、暁の会員に推薦したいヤツがいる、との話が来たのが発端。
それがリンという男。

マツオカの客自体は太客で、社会的な地位も高い。
今までの付き合いで怪しいところは無かったが、その分、こちらが高飛車に出て良い相手でもなかった。

だが、人身売買が絡んでくるとなれば、話は別だ。智のことは、何としてでも無事に戻してやらなくてはならない。

疑われない程度には男娼として仕込む必要がある。

「…………」

全く、カズは何ということをしてくれたのか。

この子がもし野心を持ったタイプであれば、二宮の家に上がり込んで先々どうなったか分からないというのに。

幸いそうではなかったようだが、平穏に暮らしていた母と息子が奇縁で繋がってくるなど予想もしなかった。
せっかく母親が守ろうとしたのに、本人自らが関わることを選ぶとはな。

溜息を吐いてしまった俺を、智は不安そうに上目遣いで見ていた。


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