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お稲荷こんこん

第1章 私のこと

出来上がったばかりの原稿を受け取ると、パラパラと慣れた手際でチェックしていく。
私の担当編集者は、高校の部活の後輩。

福山諭吉
諭吉という名前に、親の願いがヒシヒシと感じるところであるが。取り敢えず、雅治と付かなかったのは賢明だったと思う。
本人と言えば、大学を出て出版社に就職出来たのが不思議なくらいの…。
まあ、何と言うか…残念なヤツ。
お疲れ様っす、大丈夫っす…すっす付ければ丁寧語だと思ってる節がある。

「いいっすよ、先輩。こっちの方が何か収まる感じで…」
残念なヤツだが、編集者としてはそれなりの目を持ってると思うので信頼はしてる…。

私が物書きとしてひとつふたつ発表し始めた頃、部活のOB会があり。
そこで久しぶりに諭吉と再会して。
私が物書きだと言ったら驚いて、自分の出版社でも是非…と。
ならば、お前が担当になれ…という流れになって今に至るわけで。

人前では一応「こりん先生」と呼ぶが、二人の時は相変わらずの「先輩」。
最初は本名で書いてたけど、担当になった諭吉は漢字が難しいし堅い感じがするから平仮名にしたらどうか…と提案した。

いや、別に…漢字で書くのが面倒なんじゃ無いっすよ…平仮名の方が女の子らしいって言うか…

言えば言うほど、怪しい諭吉。
私としては特に問題も無いと思い、それに従って。

「葦原狗鈴」から「あしはらこりん」と平仮名表記に変えた。

読者カードを見ると、どうやら「らこりん」などと呼ばれてるらしい。
そんなラブリーな性格では無いが。
作家は夢を売ってナンボっすよ、などと担当編集者が言うので…そんなもんかと。

「…じゃあ、これで。先輩は暫く夏休みを取るって事ですよねえ?」
原稿を鞄に仕舞い、スマホのスケジュール表を眺めながら諭吉が言う。
今日の原稿で連載してる小説が終わる。次の予定までは、まだ間があるので。
少し遅い夏休みと言うわけだ。

「そうよ。去年は帰れなかったから…今年はちゃんとね。ばあちゃんに会いに帰らないとねえ…」
「ああ…田舎に? そう言えば先輩の身寄りって、そのおばあちゃんだけでしたっけ?」
「まあね。親戚は多少あるけど、殆ど付き合いは無いから…」

原稿を持った諭吉を見送ると、押入れの奥からスーツケースを取り出した。
さて、荷造りするか。


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