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お稲荷こんこん

第1章 私のこと

キャスター付きのスーツケースを引いて、朝の駅に着くと。
売店でお茶を買いホームに向かう。
ラッシュアワーの少し手前。増えて来た人並みの流れとは逆に向かって歩く。
急ぐ理由は無いので、特急じゃなく普通列車でのんびりと行こう。
ホームの待合室に座って、改めて荷物を確認する。

ばあちゃんへのお土産は…確かに。
東京で有名な老舗の葛餅。
一度持って行ったらお気に入りになり、それからは必ず。
日持ちがしないから、送ったりは出来ない。
買ったその日に届けて食べないといけない。
それも、帰るモチベーション。

窓側に座ると、空模様が気になる。
向こうに着く頃には、もっと青い空に会えるといいな…。

そこは山間の小さな村。
私は中学生までそこで育った。
私と母親とばあちゃんの三人で。

私は父親という存在を知らない。
戸籍に父親の名前は無く、母親の私生児という事になっている。
私が如何にして産まれたのか、母親は最後まで私に明かさなかった。

「一番愛して大事な人の魂とずっと一緒に居たいと思ったから。だから、その魂を半分分けて貰ったの。それで私は生きていける…。お前は掛け替えのない宝物なのよ…」

幼い私を抱きしめてそう言った母親は、少し泣いていたかもしれない…。
静かで儚げな母親の姿はその時だけ。
母親の愛は優しく包み守るものではなく、人として自立して自分らしく生きていくためのものとなった。

母親は大学病院の医師だった。
小さな診療所だけの村で育って、いつしか村に立派な病院を作りたいと志して。
高校三年間の努力の結果、成績優秀者として奨学金を得て医大に進み。そのままそこの大学病院に。

私を産んだのは、医師になりたての頃。
そして、産まれた私をそのままばあちゃんに預けた。
子供の環境としては田舎が良いと思い、自分も仕事に専念したいという事であった。
母親が村に帰るのは月に多くても三回くらいで。
後は年齢に応じて、手紙やら電話やらメールで繋がっていた。

そんな生活は普通では無かったかもしれないけど、私は少しも寂しくは無かったし…ごく自然な事に思えていた。

バリバリと仕事をする母親が大好きだった。
優しくて大らかなばあちゃんが大好きで。
そして、村中が家族のようだった。



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