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蜃気楼の女

第32章 櫻子VS尚子

 長い廊下を歩いていた尚子は、橋本の眠る部屋の前で立ち止まり、ドアの前で直立した。
「学園長、お連れしました。入ります」
「来たね……」
 櫻子はその声で心臓の鼓動が速まった。平八郎の声と違う。平八郎に何かあったのではないか? 一瞬、櫻子の脳裏に不安がよぎった。尚子はドアを開けて中へ進む。櫻子も続いてすぐに入る。目の前のベッドに男が寝ていた。男の周囲には機器が置かれ、その機器から出たチューブが男の体とつながっていた。天井を向いていた男が顔を櫻子のほうへ向けた。ひしゃげた高い鼻が目を引く印象的な顔立ちだった。
「櫻子さん、やっとお会いできましたね。田所平八郎です。この姿が僕の本当の姿です。驚かれたでしょう?」
 櫻子は男の言葉の意味が分からなかった。言葉は酸素マスクのせいか、くぐもり、かすれ、声に生気がない。櫻子は平八郎と名乗る男の声をしっかり聞きたくて、そばに歩み寄った。平八郎は口に酸素マスクを付けていた。その顔は高い鼻をした野獣にしか見えなかった。
「え? あなたが平八さんなの? どういうこと?」
 櫻子は平八郎の体とつながった医療チューブを見て、状態を感じ取った。この人はもう長くは生きられないのか。今までの流れから、平八郎は学園長の後継を探していた。そうとしか考えられない。櫻子が長く生きられないと思ったのも無理はなかった。橋本の体に挿入された田所の再生細胞が、劇的な変身を橋本に加えている最中だった。橋本が田所のメモリを得て復活するために、再生細胞が橋本の生命エネルギーを極限状態まで消費させていた。
「…… 君から説明してくれますか…… ゴホゴホゴホ」

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