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蜃気楼の女

第34章 医療用再生細胞移植術カプセル

 山野櫻子の邪心の芽がいつ復活するか、櫻子本人が気掛かりだった。櫻子は、田所のすい臓がんの摘出に変わる再生細胞移植術を、完璧な移植術だった、と思っていた。移植術から1週間後、櫻子から見た田所は、完璧に再生したと思った。
 しかし、すべての経緯を知る尚子は、橋本の変貌に驚いた。尚子は櫻子に対し移植術プログラムのすべてを話していなかった。尚子は、その結果を契機に、プログラムの一切を自らの脳の中に封印した。完全に破壊された細胞は、再生できない。田所の腫瘍に犯されたすい臓は、周辺の臓器にも転移し、内臓はほとんど腫瘍でどうにもならない状況だった。だから、腫瘍のない脳に、田所の記憶をつかさどる細胞を橋本に移植するしか方法がなかった。田所は崇高な教育理念を橋本に委ねたいと、尚子に話した。尚子はその田所の強い希望を推し進めるため協力した。しかし、結果は、全く違った。邪心に支配された田所にだまされていた。田所に体を乗っ取られた橋本は、残酷で、無慈悲な行いをする鬼畜となった。
 櫻子は田所の腫瘍に冒されたすい臓が元の健康な臓器に戻り、その副作用として、人体が若返ったと思っている。尚子は、橋本の脳に田所の脳を追加で増殖させた別人ということは隠していた。櫻子は今でも田所が手術の後遺症で別人の性格になったと思っている。尚子は、そのほうが、櫻子にはいいと思った。やはり、生前、田所が言うように、櫻子に、田所の死を知らせないほうが、彼女のためにいいと考えた。それは、田所と同じ思いである。田所もそう考えたからこそ、自らの死を知らせない方法を取った。彼女には少しでも悲しい思いをさせたくはなかった。それは、最後に残った田所の優しさが強かった証である。邪心が田所の脳を完全に征服できなかったことが救いである。また、橋本も人の心を癒やす力が田所の邪心に消し去られなかったことも幸いだった。それが消えていたら、地球は今死の星になっていただろう。そう考えると、尚子の全身が今更ながら震えた。

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