テキストサイズ

蜃気楼の女

第35章 現代の安田邸

 きょうはその成果を存分に、進一に対し発揮し、愛の思いを伝える日だ。進一を、愛情で満たされた快楽地獄に落とすため、果実は熟した。
 そんな尚子の思いを知らない進一は、部屋の中を、のんびりと見ていた。
「ねえ、尚ちゃん、この部屋って、何度も言うけどさ…… とても広そうだけど、何かの視覚トリックを使っているんだよね…… だって、部屋が建物より大きいもの?」
 進一は尚子と共通の話題が思いつかないので、先ほどから、尚子に同じ質問をしてばかりだ。しかし、尚子は、進一を落とすシミュレーションを何度も繰り返していて、進一の声はまったく聞こえていない。
 妄想モードに入った尚子は、何を言っても駄目だ。諦めた進一は別の質問に切り替えた。妄想モードに入った尚子にも聞こえるキーワードを脳に送り込まなければ、意識は返らないことは承知していた。
「ねえ、尚ちゃん、人形作りの趣味をいつからやってたの?」
 進一は、遠くを見て考え込んでいる尚子の顔を間近に見た。透き通る肌の美少女は健在で、その肌をそっと触れたときの感触を想像することは進一にとって至福の喜びだ。物思いにふける尚子の焦点の定まらない、遠いものを見る視線が、幼い頃から神秘的でそそられた。乳児からの尚子を知る進一は、物思いにふける尚子の体質を熟知していた。話し掛けても上の空という状態が良くあった。そういうとき、進一はじっと尚子の顔を見つめることが多かった。こういうときでないと、間近で見つめられないほど尚子は光り輝いていた。今も、あのときと同じように、思わず、尚子のわずかに出ている下唇を見つめる。透き通るような白い肌は、若さでみずみずしく輝いている。ぬれたような下唇を見ていると、引っ張られて、唇の中に、吸い込まれそうになる。実際、進一は吸い込まれるように顔を尚子の唇に近づけ今にも触れそうなくらい接近していた。いつものことだが、尚子はそれに気が付いていない。このときの尚子は進一と、二人きりの妄想の世界にいた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ