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蜃気楼の女

第36章 橋本浩一の記憶

(ああぁー 眠いなぁー 今は、それだけを理解できる)
 そう心の中でつぶやいた橋本は、取り戻すことのできない何かを探すため思考したが、突然、深い闇に落ちては思考を中断し、ふと、意識を戻したり、を繰り返していた。彼の体の中で、めまぐるしく何かが変貌していた。

 生を受けたものは必ず死を迎える。夜、眠り、翌朝、朝日を浴びて目を覚ますことは保証されていない。突発性の病気で、あるいは事故で、1秒後、突然、苦しむこともなく死んでいく。そのような突然の死を迎えるとき、自分の生前の行いを思い起こせない。
 それを考えれば、俺にはこの時間があるだけ幸せだ、と橋本は思う。そんな最期をイメージしている自分がいて、それでも、一日を生きるとは、大切なことだ、と思考する。
 過去も未来もない。今日、この時間、瞬間、一日を全力で生きる。そのサイクルを繰り返すため、人は睡眠を取る。眠りにつくとき、今、自分が生きていたことを感じ、感謝し、明日に託す。人は一人では生きていけない。誰かの助けを借りて生きてきた。今、寝ているが、ベッドだって、この布団だって、作ってくれた人がいるから安楽に寝ていられる。
 食べ物も、作ってくれた人がいて、運んでくれた人がいて、料理を作ってくれた人がいて、鍋を作ってくれた人がいて、箸やスプーンを作ってくれた人がいて、すべてが誰かのおかげで生きていられて、今の自分が存在している。
 そういう、誰かの恩恵を必要としなくなったとき、人は最後を迎える。そして、最後、自分が考える力を失う。その遺体は、野生動物であれば他の生物の食料となり、骨が残り、骨は大地に吸収される。死んでも誰かの恩恵を受けていた。生物の生きるというサイクルは誰かに生かされているというサイクルだ。個は消滅しても、その影響、痕跡はどこかに確実にある。生物は、存在すること、存在したこと、が周囲に影響を与えている。

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