テキストサイズ

蜃気楼の女

第36章 橋本浩一の記憶

 橋本が心の中で叫んだとき、彼女が言った。
「あたしも含めて、あたしの中のたくさんの遺伝子がおじさんを好きになるんです」
 橋本はあのときのことを思い出すと、今も、隣にいるように尚子の香りとぬくもりを感じた。思考が分かるとか、超能力者だとか、遺伝子がそうさせるとか、意味不明なことを言う変わった子だと思った。あの出会いは、生涯、どんなことが起きようとも、忘れることなどできない。彼女の名前は安田尚子だ。橋本はどんどん消える記憶の中で、何度も、尚子の名前を呼んだ。
(尚子のことは忘れない……)

  *

 橋本はベッドで寝ていても、頭の中に現れる尚子の笑顔を見るとうれしくなった。尚子の笑顔を見るたび、あのもどかしく、ときめいた、ざわついた心の記憶、会ったばかりの他人といて、あんなに心の安らいだ心地よい感覚は初めてのことだった。
 彼女が橋本に何度も言ってくれたように、橋本もいつまでも手を取り合っていられるくらい、そばにいたい、と思った。尚子との関係をもっと深めていきたかった。橋本は、彼女と一緒にいたい、と心から願った。
 次の瞬間、彼女の名前が思い出せない。彼女の顔がぼやけてきた。橋本は横たわりながら、彼女の顔を思い描こうとしたが、頭の中がクラクラしてきて、眠りに落ちた。

  *

 橋本はいい香りの中、心地よく目を覚ました。目を開けると、いつも出てくるかわいい女の子・尚子が、ベッドのすぐ脇で腰掛けていた。今日はあの子の名前をすんなり思い出すことができた。記憶を引き出す鍵のようなものがあるのではないか、と橋本は考えた。それが分かれば、田所の侵略に勝てるかもしれない。そう思った瞬間、頭痛がした。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ