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蜃気楼の女

第36章 橋本浩一の記憶

(侵略? はて、何のことだったか?)
 そう思ったとき、何かの記憶がまた消えた。尚子が椅子から立ち上がると、ベッドの脇に移動し、腰をかがめ橋本の顔に接近し小声で言う。
「おじさん、手術後、再生細胞と既存細胞の交換のため、体の生体エネルギーが使われ始めるため、体力と精神力を消耗していくから、なるべく、エネルギーの消耗を防がなければならないの。その対策をこれからするからね、協力してね……」と、うれしそうに言う尚子の説明を橋本は聞いていた。そのとき、橋本はベッドから起き上がれない状態だが、手足、首など、まだ体の周囲には伸ばせる範囲で動かせた。
「そう…… なのか? じゃ、頼むもうかなぁ……」
 橋本はそう言って、尚子の顔を見つめた。尚子はいつになく満面の笑みを浮かべた。尚子は田所の記憶が橋本の脳に入る前に、橋本だけの記憶を持った橋本と、心と体のつながりを持ちたくてうそを付いた。この尚子の行為が、田所の記憶を侵略させる時間を加速させることになるとは予想外のことだったが、結果的に尚子の行動が後になって、橋本の再生のために、幸運をもたらすことになった。
 ニコニコ顔の尚子は橋本の顔を見つめたまま、後ずさりしながら、ドアまで後ろ向きに下がって行き、鍵を後ろ手で掛けた。直後、尚子はさらに笑みを浮かべた。
(フフフゥー もう、誰にも邪魔されないわ、おじさん、逃げられないよぉー)
 心の中がルンルン気分の尚子は橋本の前に戻ると、橋本の顔に顔を近づけた。尚子の顔が橋本の顔10㎝まで近づいた。
「おじさん、この前、あたしと友だちになったよね。いっしょにベッドで寝たよね……でも、あのとき、何も…… なかったよね…… おじさん、会って直ぐエッチするのが嫌な人なんでしょ?」
 橋本は黙っていた。今だって、何も起きないよ、と言いたかった。
「こんなに、顔が間近だと、あたしとキスしたくなってるでしょ?」
(こんな美少女の顔を目の前に置かれて、そう思わない健康な男はいるのか?)

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