優しく咲く春 〜先生とわたし〜
第14章 文化祭
耐えかねたように、井田先生は立ち上がると、近くにあった自販機へと歩いていった。
ガコン、ガコン、と2本分の飲み物が落ちる音がして、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「はい、とりあえず、これ」
わたしたちに1本ずつ手渡されたそれは、温かいココアだった。その温かさには、思いの外、人の心を落ち着かせる作用があるらしい。手のひらからじわじわと温もりが広がる。
由貴くんも同じように、両手でココアを包んでいた。
その様子に、井田先生は穏やかな笑みを浮かべていた。
「……びっくりしたでしょ? 角村さんだけじゃなくて、君らも疲れてると思うんだ、気持ちの面で。今日はこのまま、2人とも帰りなね。僕は少し、優と角村さんのご両親と、お話するから」
井田先生は、わたしたちが頷いたのを確認すると、もう一度だけ頭を撫でて、いっちゃんの病室へと入って行った。
落ち着きを取り戻した病室から、優と春ちゃんの声が聞こえたが、何を話しているかはわからなかった。
「……行こうか」
ココアが冷める前に。
あとからそんなふうに聞こえた気がして、わたしは頷く。
由貴くんが、『行こう』と言ったのは、お互いが帰りたくないと思っていたからかもしれない。
重い足を、病院の出口へ引きずる前に。
わたしは、両手でぎゅっとその缶を握りしめながら、ふと思いついたことを口にしていた。
きっと苦しくて、笑った顔が引きつっていたと思う。
「……ねぇ、由貴くん。屋上、行かない?」
由貴くんはひとつ頷くと、力なくにっこりと笑った。
……お互いが、初めて見る表情をしていた。