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優しく咲く春 〜先生とわたし〜

第16章 3人の年越し

8

「……優と、なんかあったの?」

後ろからかかる声に、バレないように小さく息をついた。

敏いな、この子は。

いつも思う。
咲は人の心の機微を、こまやかに察する。
優も俺も、暗黙の了解で悟られないように振舞っていたつもりだけれど、それはあくまでつもりに過ぎなかったらしい。息を静かに吸い込むと、1、2の3で、ゆっくり振り向く。

思ったより心細そうな顔がこちらを見ていた。

「なんもないけど……」

そんな顔を見たら、心の片隅で声が聞こえる。
……置いていけないよ。
ぐっと胸が苦しくなる。現実に胸ぐらを掴まれるような感覚。

『遅いと思う、俺は』
……優が言っていたことが頭の中にこだまする。


わかっている。


何かを断ち切るように、平然を装った。

「……なんか、変だった?」

咲に近寄って、ゆっくりと隣を歩く。

「いや、なんでもない!」

……不安を拭うような笑顔を見せた咲に、笑いかける。

「そっか。……お昼、何にしようかね」

置いていけない。咲を、置いて行くことはできない。

たとえ傍に優がついているとしても、3人で暮らすこの生活が、いまの俺の居場所になっている。
……きっと、咲や優の居場所にもなっている。

特に咲に関しては、まだ気持ちの面で不安を残す。この1年で、大きく安定はしてきたものの、俺や優にすがるところを見ると、危うさを持っている。

「春ちゃん、お昼ご飯、うどんがいいな」

車の後部座席、乗り込んだ咲がパタパタと忙しなく足を動かしながら言う。
仕草に幼さを感じる。甘えられる場所をようやく見つけた咲の近くにいたかった。

「いいよ。麺つゆ足りるかな」

ゆっくりと車を発進させて、病院の駐車場を抜けた。バックミラーでそっと後ろを覗く。咲は病院では見せなかった、心底安心したような顔をして、ゆっくりと過ぎていく窓の外を眺めていた。

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