優しく咲く春 〜先生とわたし〜
第16章 3人の年越し
俺には6つ上の兄がいる。
兄と2人兄弟、昔から2人とも医者になることを望まれた。特に、父親に。
父は、福岡で開業医をしていた。『継がせる』ために生まれたような俺と兄は、物心ついた頃から医者になることを刷り込まれる。小中高と名が通った名門校を受験するために、毎日塾通い。父は厳格で、家でも院内でも厳しい表情を崩さなかった。
母はあまり強くは言わなかったが、『別の道を考えても良いこと』を俺と兄に、遠回しに伝えてくることがあったが、聞く耳を持てない程、父の期待に応えることで精一杯だった。
先に挫折をしたのは、兄だった。
それは高校受験のとき。
九州で1番、名の通る名門校。その合格を掴むことができなかった。
「公立の高校に行く。……公立の高校に行っても、医者にはなれると思うんだ」
兄の不合格がわかった日。誰もが沈黙する食卓で、不意に兄が呟いたのだった。
兄が滑り止めで受けていた公立高校は、偏差値でいうと真ん中より少し上。医大進学者は毎年出るか出ないかというところ。第2希望の私立高校からは合格が出ていて、私立に行く方が医者への道は堅い。そちらへ行くことを父は当然と考えていた。
無論、兄の一言は父の逆鱗に触れる。
「ふざけてんのか!」
怒鳴られた後に、1発殴られた兄は、父を睨んだがそれ以上は何も言わなかった。母はヒートアップしそうな父の右腕を必死で掴む。当時、小学生だった俺はそれを目の当たりにして心を縮めた。
騒動の只中、茶碗から転がった箸が、床に落ちる音が耳の中にやけに響く。何もかもを見たくなくなって、目を瞑って耳を塞いだ。
でも静止画のように、俺の記憶の中にいつまでも残っている。穏やかだった兄が、あんな表情をしたのはその1度きりだった。