優しく咲く春 〜先生とわたし〜
第16章 3人の年越し
「春斗、ちょっと席外せるか?」
文化祭の様子を見に来た優が、俺にこっそりと声をかけた。
「ん?」
「悪いな……少し……」
一瞬だけ、深刻な表情を見せた。
俺は、咲の視線に気づいて、なんでもないふうに笑う。
「わかった。咲、由貴、ちょっと店外れる。すぐ戻るね」
2人に言い残して、ひと気のない所を探す。
屋外の影になった水飲み場の辺りまできて、ようやく2人で足を止めた。
賑わった場所から離れると、空気もひんやりするような、不思議な感じがした。
「……話って?」
優が躊躇っていることがわかったから、話を振る。少し思案した優の表情から良い話ではないことを悟る。優はそっと話し始めた。
「春斗の兄さんから……さっき病院に直接電話があった。春斗の母さんが倒れたって」
「え……な…………なんて……?」
言葉を失うとは、こういうことなんだと思った。
周りの音が、一瞬で聞こえなくなる。
瞬きするのも忘れて、まじまじと優の目を見つめた。何かを失いそうになる前に、もう一度、優が端的に情報を入れる。
「母さんが倒れた。胃癌のステージ4」
ステージ4……。
その数字は、母の命がどれほど続くのかを表す。
「4……」
勘当、と告げられたが、家族を忘れたわけではなかった。
しかし実際、教師になってからの毎日も忙しく、連絡を取る暇もなかった。勘当と言われて、自分が実家へ連絡していいのかもわからず、今の家の住所や電話番号も告げずにいたのもある。
そうして連絡を取らないうちに、母が病に倒れていたとは……。
それで今日、病院の優宛に、兄から電話がかかってきたらしい。
「春斗。……実家帰ったらどうだ?」
「いや、でも……」
実家へ帰る。その選択の前に、嬉しそうにマフィンを売っていた咲の横顔が思い浮かんで俯いた。
右手をぎゅっと握りしめる。
その手首を、優がしっかりと掴んだ。
思いがけないその力の強さに驚きながら顔を上げたら、優としっかり目が合った。
「でも、って……咲のことか? だけど、春斗。こんな事言うのもあれだが……間に合わなかったら、酷く後悔することになるぞ」
それは、優が身をもって体験したことから出た言葉だった。
優の父親が亡くなった時……彼はたった1人で父親を看取ったのだ。
「とにかく……1度、連絡が欲しいそうだ」
「……わかった」