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メランコリック・ウォール

第29章 香水


やがて戻ってくると私にあたたかいレモネードを手渡し、頬に触れた。


「寒かったろ?中で待ってればいいのに」

「ううん、平気。」


「とにかく…俺んち行っちゃって良いんだよな?」

「うん…っ」


キョウちゃんのアパートに着くまで、私はなにも言えなかった。

彼も、なにも聞かなかった。


ただ、あたたかくて大きな手が私をぎゅっと包み込んでいるだけだった。





アパートに入ると、私はぽつぽつとさっきの出来事を話した。



「ーーーだから、今日…帰りたくない。キョウちゃん…ここに…」

「当たり前だろ。」


「ぁ、ありがとう…」


「はあっ…ーー。オサムさん、もうアキのこと離してくんないかな。…俺だったら…。っ…」


彼はクッと息を飲み、落ち着きを取り戻すように煙草に火を点ける。



「私、あの家…出る。あの人とも…別れたい。」


キョウちゃんは一瞬、びっくりした顔で私を見た。


「本気?」


「うん。仕事、ほっぽらかしに出来ないから…今すぐには無理だけど、あの家出るために私…いろいろ準備しようって…決めたの。」


「……」



少しの沈黙が続き、彼は正面から私をぎゅうっと抱きしめた。



「…俺に出来ることある?」


「ううん…こうして、一緒に居てくれるだけで…」


「なんでも言って。俺に黙って…いなくなるなよ。」


「うん…。まずは、事務員さんを探さないと。年明けかな…」


「…そっか。」


あの家に居るのは嫌だけれど、仮にも私はオサムの妻で…ウォール・シイナの事務員だ。

すべてを捨て去って逃げることなんて出来ない。







「久しぶりだな、泊まり。」

「うん!えへへ…急でごめんね。」

「大歓迎っす。」


キッチンで野菜の皮を剥く私の後ろから、キョウちゃんがそっと耳にキスをした。



彼が私の旦那さんだったら。


彼と結婚していた人生だったら。


考えても仕方のないことが、何度でも頭によぎってしまう。



ーーーしかし、長年共に過ごせばやっぱりマンネリ化するのが常なのかもしれないな、とも思う。


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