メランコリック・ウォール
第44章 夫の手
最後の夜、ビーチに出た。
昼間の熱が引いた砂を踏むと、ぎゅうぎゅうと心地よく沈んだ。
「本当にあっという間だった…」
「そうだな。でもそろそろ…」
「うん?」
「アキの手料理が恋しくなってきた(笑)」
「ふふっ。」
見上げるといくつもの星が瞬き、大きな月はなにも言わず私たちを包む。
ザザザ…と闇の中から聞こえる波音に、耳が心地よく麻痺していく。
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バリ島に魅せられ続けた6日間が終わり、私たちは夜遅くにデンパサール空港にいた。
お土産をたくさん買い込んだので、現地で調達したボストンバッグも荷物に仲間入りしている。
機内でウェルカムドリンクが出されると、2人で「トゥリマカシ」と言った。一番に覚えたインドネシア語だ。
離陸すると、窓から諸島が見える。
暗闇の中に浮かぶいくつもの灯りをいつまでも眺めていた。
夢のような旅が終わってしまう。
実際、ついさっきまで滞在していたバリ島のすべてが、おとぎ話や幻想のように輪郭を失い始めていた。
それほどに極上の旅、極上の地だった。
「少し寝よう」
時刻は深夜0時を越え、機内の灯りもぼんやりと落とされている。
眠ってしまいたくない。
その思いとは裏腹に、まぶたは沈んでいった。
…
目が覚めるとすでに着陸直前で、私たちは急いで姿勢を正した。
準備していたパーカーを羽織って飛行機を降り、ゲートをくぐる。ここにはもう半袖姿の人はいない。
少し前まで感じていた空気とはまったく違うことを実感し、思わず嘆いた。
「あぁ…着いちゃった。」
「ははっ。またすぐバリに行きたくなった?」
「うん…!」
「中毒だね、アキも俺も。(笑)」
まだ早朝で、外は肌寒い。
車に乗り込み、またあの町へ帰る…―――。
いったんは忘れていた様々な問題が脳内に込み上げ、ため息が出る。
「俺さ」
「うん?」
「親方から頼まれてて。来月から手伝いに行ってやってくれって、隣町の塗装屋」
「そうだったの?」
「ん。だからニートでいれるのも、数週間だけだったな(笑)」
「ふふっ。」