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冬のニオイ

第26章 素晴らしき世界

【翔side】

デッキから木製のドアを手で開けて中に入る。
車両の中は木の温かみがある懐かしい作りで、網棚には金属製でない本当の網が掛かっていた。
新幹線にあるみたいなコート掛けが各座席に設置されてる。
青いビロードが張られた四人掛けのボックス席に、一人座った。
設置されてる灰皿が珍しい。

車窓から眺める景色が春がやって来たことを教えてくれてた。
遠くに見える山の緑が、木々の芽吹きで柔らかく霞んでる。
桜にはまだ早いようだけど、一面に広がる菜の花畑が綺麗だった。

線路の継ぎ目を車輪が通る時に聞こえる穏やかな音が気持ち良くて、目を閉じる。

『……ぉくん……』

ふと、誰かに呼ばれたような気がして、俺は立ち上がって周囲を見回した。
乗客はまばらで、年配の人が多い。

皆、それぞれに窓の外を眺めたり、手に持った何かを見ていたりして、誰とも目が合わなかった。
気のせいか、と思い座り直す。

するとまた声が聞こえた。

『……しょおくん……』

やっぱり俺を呼んでる。

誰?

『……オイラ待ってるから……』

もう一度立ち上がってみる。

「誰?」

やっぱり誰も俺を見ていない。
声がどっちの方向から聞こえてくるのかも分からなかった。

ただ、この声を聞くと、胸が……。

『信じて待ってるから、帰って来て……』

胸がしくしくと痛む。

何か俺は間違ってるんじゃないか、という不安が急にきざしてきた。

行先を確かめた方が良いと思い、俺は列車の進行方向へ向かって通路を歩いて行く。
車掌さんか誰か、きっと係りの人がいるだろう。

前の車両に移動すると、トンネルに入ったのか視界の隅が暗くなって耳に届く音が変わった。
車内灯の青い光が急に目に付く。
早足に前へ前へと進む間、俺を呼ぶ声がずっと聞こえていた。

『翔くん……目を覚まして……帰って来て…』

「チッ、誰なんだよ」

『目を開けてよ……翔くん……』

「わっかんねぇよ、くそっ」

いくつかの車両を通り過ぎて、ひたすら前へ進んだ。

そうして、いくつめかの車両のドアを開けた時、トンネルを抜けたのか急に窓から陽の光が差し込んで。
俺は列車に乗った乗客の姿を改めて見た。

「え……?」

座っている人々は皆、半透明というか、透けている。
座席の背もたれや肘掛け、腰を下ろしている座面が体を通して見えていた。


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