鬼の姦淫
第3章 鬼神との誓約
仲正さんが、彼の広い両肩をつかんでいた私の手首をやんわりと外す。
「…え……?」
「萌子。 わたしは創生のこの世に生を受けてからこの方、『痛み』という感情を知らん。 ついでにいうと、『死』に対する恐れもだ。 お前の友を殺した輩も似たものだとしたら────分かるか。 そんな危険しかない世界に今お前を立ち入らせるわけにはいかない」
彼の体のどこにも傷はなかった。
仲正さんがどこかしら申し訳なさげに私を見上げてきた。
「少なくとも義隆はわたしたちと違うから安心しろ。 あれは怪我もするし、ちゃんと年相応だ。 それは置いておいてもどちらにしろ、人間がこちらに対抗できるのは、悪知恵を働かせることぐらいだろう」
そんなに長く生きていて、偉い立場ならば威丈高な挙動も分からなくもない。
だけどどんな理由にしろ、愛理の話を出してこの人は私をたきつけた。
「こんな煽りでは動じぬぐらい強く賢い大人になれ、萌子。 そしてまたここに来た時に、ふたたび選べ」
なぜそうする選択肢をこの人に決められなければならないんだろう?
私は抑圧していた感情の残り火を消すことが出来なかった。
「なんでですか」
「ん……?」
やりたいことなんて納得したうえで、自分で選ぶものだ。 それぐらいは私にも分かる。
たとえ迷っても、親や他人に決めてもらうものじゃない。
「仲正さんは若林くんの父親で。 そしてきっと色んなことを知っていて、不思議な力を持ってる。 だけど、中途半端に放り出すぐらいなら、なんで放っておいてくれないんですか?」
これは誰に言ってるのか。
仲正さんにか、若林くんにか。
声を荒げなかったのは愛理のお陰だ。
あの子は相手を攻撃することだけを目的に、他人を批判することはしなかった。
「私は他人の言いなりになるのも、振り回されるのも嫌です。 二人のことは忘れません。 人だろうが鬼だろうが、少なくとも若林くんは若林くんです。 彼のことも忘れないまま、私は生きてやりますから」
死んでも拒絶されても忘れない。
『誰か良い奴を見付けて幸せになれ』
私はそんなことを望んでない。