鬼の姦淫
第4章 記憶
その時、歩道を勢いよくすれ違ってこようとする自転車に遭遇し、若林くんがとっさに私を歩道側に引き寄せた。
「危ねぇな。 車道通れよ!」
急なことで、自分の上半身に回ってる彼の手が、片方の胸をむぎゅっとつかんでることに意識が回らなかった。
逃げるように遠ざかっていく自転車に文句を言い、そのあとで若林くんが私から手を離す。
「若林くん、あ、あああの、いまむ、胸を」
動揺した私は大いにどもった。
「へ……ごめん、ささやか過ぎて気付かなかった。 それよか、助けてもらった礼は」
「お、お礼?」
こくっと頷き、ちょっとした承認欲求を満たそうとしてるのか自分の倫理観かなにか。
どうやら若林くんにとってはそっちの方が重要らしい。
「……ありがとう」納得のいかない顔でそう言うと、「よし」と納得のいった顔で若林くんが首を軽く縦に振る。
初めて異性に触られたささやかな私の胸の立場は。
私はモヤモヤしつつ、彼が愛理に対してもこうではないことを願った。
それから胸の話は伏せ、そのほかの話を愛理に伝えた。
ドタキャンの謝罪を含め自分が感じたことを彼女に言ってみる。
「きっと若林くんは愛理を凄く大事に思ってるんだよ。 愛理ってひとりっ子だし。 若林くんの家とかなら、いい雰囲気になるんじゃないかな」
『きっと』という箇所が無意識に強調された。
愛理はやっぱり浮かない表情で。
「萌、気を使ってくれてありがと。 でももういいよ。 たぶん……わたしがちょっと変なんだと思う」
そう言って恥ずかしそうに頬を染め、ぎこちなく笑う。
彼女が亡くなったあとで私は、既に愛理が彼の家を訪ねていたことを知った。