担当とハプバーで
第3章 踏み入れた入口
帰宅したのはそれから一時間半後。
こういう時に限って遅延してるんだ。
鍵を回して、そっとドアを開くと、テレビの音が漏れてきた。
起きてるのかと思えば、テレビの前のソファで寝落ちしている祥里。
手を洗ってから冷蔵庫を開く。
前に好きだと言ったパティスリーのエクレアが二つ。
チョコと苺カスタード。
混んでただろうに。
どういう風の吹き回しだろう。
第六感というのがあるのかもしれない。
くだらないけれど、あまりにタイミングが良すぎて。
洗面所に向かい、洗濯物の山に服を積む。
祥里のシャツがくしゃっと置いてあるのがいつもより、嫌に、目についた。
何か正体のわからない不安がもくもくと心を覆っていく。
ー相手はしてるかもよー
有岡の声が脳裏に響き、シャツを確認しろと囁く。
なんてことはない。
今朝着ていった仕事着じゃないの。
珍しくタバコの香りも酒の香りもしない。
でも待って。
なに、この、小さな違和感。
シャツを掴む指先が震えているのは。
だって、おかしい。
祥里は仕事中ジャケットを脱がないのに。
襟元についた髪の毛は、私のじゃない。
明るいブラウンで、くりくりにカールして。
どうして、目についてしまったんだろう。
つまみ上げたそれを見つめる。
ううん。
たかが髪の毛は証拠になんかならない。
ーしてるかもよ、浮気ー
脳内に飼ったつもりはないよ。
出て行きなさい、赤きのこ。
腰が抜けそうになって急いで洗面台に手を突く。
ガタリと音がなってしまい、祥里の声がする。
「帰ってきたの、凛音。遅かったね」
寝ぼけながら、ソファから。
「う、うん。エクレアありがと。食べたら寝るね」
「おう」
それからまた寝息が響く。
自分の呼吸と重なるように。
鼻息がやけにうるさい。
指に絡んだこれを早く捨ててしまおう。
だって疑うのなんて心身を削るだけ。
そんなことに人生を使いたくない。
でももし、本当だったら。
結婚する気のない男と離れるチャンスだろうか。
孤独になる絶望の幕開けだろうか。
月曜日に顔に出ないようにしないと。
きっと有岡は目ざとく尋ねてくるだろうから。
こんなちっぽけな髪の毛が、心の構造を変えてしまう。
ふざけてる。