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第2章 誘う


 今朝見た顔が、目の前に。
 少し、困った眉をして。
「一川……くん?」
 何故ここに。
 どうやってここに。
 何時からここに。
 そんな疑問が喉元で燻る。
 一川は八条を見てほんの少し見開いた目を細め、顎を指で掻きながら答えた。
「八条さん家に忘れ物しちゃって。連絡先わかんないし、今朝駅までの道覚えてたから、覚えてるうちにって。仕事何時までかわかんないから、待ち伏せみたいになっちゃったけど」
 そろそろ日付が変わるぞ。
 無意識に駆け寄り、一川の腕を掴んでいた。
 その感覚のない冷たさにうなじがチリつく。
「あ、ごめんなさい。なんか……」
「とにかく、中に」
 弱々しい肩を押して、オートロックの扉をくぐり抜け、エレベーターに乗り込んだ。
 無言で十四階まで上がる。
 機械音と共に視界が開けてから、同時に足を踏み出した。
 鍵を探り、玄関を開いて招き入れる。
 まさか昨日の今日とは。
「何を忘れたんだ?」
「……パスケース」
「寝室か」
 荷物を置いて、寝室に足早に向かう。
 一川もついてきた。
 枕元を調べるが、見つからない。
「ここにはないな。とりあえず、先に温かい飲み物でもどうだ。うちの店の紅茶がある」
「え……はい」
 申し訳なさが全面に押し出ている一川はただただ脆く見えてやるせない。
 お湯を沸かし、茶葉をポットに入れる。
 香り含んだ湯気の立つカップを手渡すと、酔い醒ましに自分は白湯を飲んだ。
「美味しい。香りが、胃まで来る」
「ルフナって紅茶だ。余り知られてないが」
 温度と言うのは感情に密接にリンクする。
 上気した頬の一川は、昨日のように飄々とした元気を取り戻しつつあるようだ。
「こんな夜遅くにごめんなさい」
「いや、俺が飲んでこなければもっと早くに……まあいい。探そう」
 空のカップを置いて立ち上がり掛けて、八条は次の紡ごうとした言葉に固まった。
 九出の警告を重ねて。
 今、一川に泊まっていけと、言おうとした。
 これは、油断なのか。
 心配されることなのか。
 自分のことを夜遅くまで待っていた来客を、それも同性を泊めるのは悪いことか。
 明日は七時に出れば良い。
 だから、別に……
「八条、さん?」
「あ、なんだ」
「僕、洗面所見てくるね」
「ああ」
 裏が、あるとは思えない。
 それは、甘い考えなのか。
 純粋に友情のようなものだと。

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