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第3章 連れ出す


 やっと大きく肺の中の空気を押し出す息が吐けたのは、二時を回ってからだった。
 ここから四十五分ずつ休憩が回される。
 無論、一川は帰ったはずなので大人しく賄いをよそう。
 日差しの眩しい午後だった。
 二分で食べ終えると、紅茶を片手に新鮮な酸素を求めて外に出る。
「お先ー」
「お疲れ様です、九出さん」
「八条さんもね。例のお客様は満足げに帰ったよ」
「監視ですか」
「観察かしら」
 意味ありげに低い声で。
 熱気と帽子のせいでくりっとカールした前髪を弄る。
 魅力の深い女性だ。
 ふとした仕草から興味をそそられる。
 冗談でも浮気を持ちかけられたら揺れるほどだろう。
 離婚した身で考えることでもないが。
 苦く引き攣った口を押える八条を、怪訝そうな眼が睨む。
「なーににやけてんの」
「にやけてないっすよ」
「んあーっ、あぢー」
 気の抜けた声とともに登場した五木がずかずかと間に割り込んで壁にもたれる。
「ああ、背中が冷える……」
「ついでにはげかけの額も」
「やめて」
 アイスコーヒーのグラスをぴとりと押し付けられて、五木は目を瞑ったまま手で払う。
 気にしているのを知っていてからかうのが九出だ。
 正直三十を過ぎてからは老いはネタにでもしないと付き合ってられない。
 それを悟った人間たちこそ心穏やかに惑わされなくなるのだ。
 くだらない思考が流れていく。
 肩をぽんと叩かれたのにも反応が遅れた。
「どう? 二階堂先輩に嫉妬してるの、八条さん」
「は?」
 何の話か察した九出が意地悪く頬を持ち上げる。
「あっはーん、そうよねえ。先輩はああいうのタイプだもの。早速マークしてるんじゃない?」
「あ、ああ。二階堂さんの男色のことですか。あれはネタでしょ」
 いい男が独身だとすぐ噂が立つのだ。
 その類だと聞き流して、飲み会のたびに尻を揉むセクハラ魔と化す二階堂に呆れてきた。
「えっ。ネタだと思ってんの? 違うよ、二階堂先輩はガチ。海外でゲイバーにハマって本気になっちゃった性質。でもタチじゃないらしいけど」
「あんまそういうの言わないほうがいいっすよ、九出さん。仮にも女性なんですから」
「仮にも、ねえ」
 揚げ足を取るように呟いた五木は確信犯だ。
「ち、違いますよ」
「八条さんの意地悪」
「だから」
 弁解するのもばからしくなって紅茶を喉に流す。

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