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第1章 愚痴る


「八条さんって、バツイチ?」
 びくりと顔を上げる。
 丁度店員が裏に行った合間を突いての質問だった。
 雑誌を持つ手が固まる。
「何故……」
 一川は眉を上げて目線で俺の左手を示した。
「指輪跡。くっきり残ってるから」
「なっ」
 確認すると、確かに二週間前まで着けていた指輪の位置に線があった。
 それに気づくほど観察されていたのが些か気持ち悪くなって口を尖らせる。
「普通は指摘しないものじゃないか」
「僕もそうなの。だから親近感湧いちゃって」
 なんだ、この男……
 言い返そうとしたところで、店員がハサミをもって戻ってきた。
「何の話してたんですか?」
「んー。八条さんの家庭のお話」
「あんたなぁ……」
 呆れるが、別れてから初めて会う同じ境遇の男につい興味を引かれたのも事実。
 あまり身動きできないという状況も相まって、口を開いた。
「貴方もそう、とは?」
 前髪のカットで目を瞑ったまま一川は、にやけながら話し出した。
「学生時代から付き合ってた人がいてね。本当にしっかりしててさ、でもなにより料理が上手かったんだ。和食系統が。ああいうのって、本家でちゃんと学んできたからなんだろうな」
「料理か。俺の妻は酷かった」
「それ、八条さんが上手すぎたからとかじゃなくて?」
「そうだな……本職だから」
「料理人さん?」
「ああ」
 ばっと此方を向く。
「食べに行きたい」
 キラキラと見つめられるので、つい頷いてしまった。
「よし。店長、このあと八条さん家に行ってくる」
「一川さんは強引ですねえ」
「なっ、このあとだと?」
 すぐに部屋を思い浮かべる。
 マンションの一角、片付けのしていない家事の溜まった部屋。
「休みでしょ?」
「休みだがっ」
「買い物しながら愚痴ろうよ。八条さん」
「……勝手な」
 会計するまでは、まさか本当に一川が来訪することになろうとは思っていなかった。
 ただの冗談だろうと。
 そう、思っていた。

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