許容範囲内
第1章 愚痴る
十年と七ヶ月の夫婦生活は、その前の二年間の付き合っていた時間よりも何十倍も濃く、記憶に刻み付けられた。
子供は設けることが出来なかったが、それでも一生添い遂げようと。
「……八条さん」
一川が気遣うように声をかける。
目が赤くなっていたんだろう。
苦笑して地酒を注いでもらい、飲み干す。
酒の熱で誤魔化すように。
一川も新たに注いだ中身を見つめて、何かを思い起こすように浅く溜め息を吐いた。
「不憫ね、僕ら」
「どうだか」
料理が片付けられ、適当に買った鮭とばとナッツをつまむ。
そこで、俺は質問を切り出した。
「君はいつもこんなことをしてるのか」
「こんなこと?」
「会ったばかりの人間の部屋に」
「まさか」
一川は心外だとばかりに笑う。
「失うものがないにしろ、危ないとは思わないのか」
「危ないと……ああ、八条さんは僕を掘るような人には見えないので」
そういう意図ではなかったんだが。
やけに艶めかしく言われたので、変に緊張が走った。
「え?」
「違うからな」
ぎこちない笑いを共有する。
時刻は九時を回った。
一川が泊まると言い出すまで一時間。
少し眠気が来るほろ酔いで二人とも手を止め、缶や瓶をまとめる。
ビール三杯に芋焼酎か。
のんびり味わったのは久しぶりだ。
ふわふわとする足元に気を払いながら、ソファに腰を下ろす。
「八条さん、お風呂借りていい?」
「ああ……湯のスイッチは脱衣場にある」
「はーい」
ん?
風呂だと?
鈍い頭がようやく違和感を発する。
あいつ、帰るんじゃなかったのか。
まあ、良いか。
瞼が下がってくる。
ほろ酔いに、シャワーの音。
美映の……柔らかい体が水を滴らせて。
あのベッドで乱れ合う。
そんな日々が、目の前に。
「……あの、八条さん? 八条さん」
ぼやけた視界を晴らそうと瞬きを繰り返すが、過去からまだ覚めきれない。
肩を揺する細い手を掴む。
「はっ?」
「……美映」
黒いショートヘアーに、シャンプーの甘い甘い香り。
滑らかな肌。
この二週間、何回お前で抜いたことか。
また、重なる日を夢見て。
ぐいっ、と腕を引き寄せ、頭を抱く。
胸元に息がかかる。
熱い。
心地良い。
誰かを抱き締めるのが、こんなにも落ち着く行為だったなんて。