
約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever
第6章 契り
徳宗は金大妃の実子ではない。先王が寵愛した側室、淑儀の生んだ庶子であり、そのため、大妃の憎しみを受けているのだ。また、王自身もかつては大妃に対して上辺だけは母子の礼を取ってきたものの、大妃が莉彩に酷い仕打ちをしたことが原因で、その決裂は決定的なものになった。
最早、徳宗は大妃を〝母上(オバママ)〟とも呼ばず、〝大妃(テービ)さま(マーマ)〟と他人行儀に呼んでいる。
この十年で大妃と王の仲は好転するどころか、悪化の一途を辿っている。王を中心とする改革派、大妃を中心とする保守派が朝廷を二分する勢力となり、どちらが実権を握るかで熾烈な闘いを繰り広げている。
即ち改革派は急進派とも呼ばれ、身分や生まれよりも当人の持つ能力によって廷臣を選ぶべきだと主張する。対する保守派は、その名のとおり、従来、王朝が維持してきた身分制度を重んじ、大臣などの高級官僚は名門から出すべきだとする。
どちらの意見にもそれぞれの利はあるのだが、保守派は両班(ヤンバン)(貴族)がそれまで保持してきた己が権力に固執するあまり、自分たちだけが権力を握ろうとするきらいがあった。
国王はそんな保守的な気風を厭い、朝廷内の淀んだ空気を一掃したいと長年考えてきた。そのため、積極的に若い有能な人材を登用した。その者が権門の出であろうとなかろうと、使えると判断すれば重用したのである。
長年、高官を輩出してきた上流貴族がそんな破天荒な人事をおいそれと容認するはずがない。金大妃自身が名家の出であったため、保守派と改革派の争いは余計に激化した。
もっとも、保守派も一度は王を懐柔しようと目論んだことはある。大妃の兄の娘、つまり姪に当たる姫を徳宗の中(チユン)殿(ジヨン)(王妃)に冊立し、搦め手から王を抱き込もうと試みたのだ。
しかし、徳宗は中殿よりは側室である伊淑儀を寵愛し、中殿は不遇の中に流産して亡くなった。中殿の亡くなる二年前、大妃は中殿にとっては目障りな伊淑儀を消すため、まだ若かった徳宗に讒言し、毒を賜るようにと進言した。大妃の計略により、伊淑儀は姦夫と密通した罪を着せられ、十八歳の若さで服毒死した。
後にそれは大妃の企みであると発覚したものの、時既に遅く、伊淑儀は亡くなっていた。大妃はそれだけでは飽きたらず、伊淑儀の位階を死後、剥奪した。
最早、徳宗は大妃を〝母上(オバママ)〟とも呼ばず、〝大妃(テービ)さま(マーマ)〟と他人行儀に呼んでいる。
この十年で大妃と王の仲は好転するどころか、悪化の一途を辿っている。王を中心とする改革派、大妃を中心とする保守派が朝廷を二分する勢力となり、どちらが実権を握るかで熾烈な闘いを繰り広げている。
即ち改革派は急進派とも呼ばれ、身分や生まれよりも当人の持つ能力によって廷臣を選ぶべきだと主張する。対する保守派は、その名のとおり、従来、王朝が維持してきた身分制度を重んじ、大臣などの高級官僚は名門から出すべきだとする。
どちらの意見にもそれぞれの利はあるのだが、保守派は両班(ヤンバン)(貴族)がそれまで保持してきた己が権力に固執するあまり、自分たちだけが権力を握ろうとするきらいがあった。
国王はそんな保守的な気風を厭い、朝廷内の淀んだ空気を一掃したいと長年考えてきた。そのため、積極的に若い有能な人材を登用した。その者が権門の出であろうとなかろうと、使えると判断すれば重用したのである。
長年、高官を輩出してきた上流貴族がそんな破天荒な人事をおいそれと容認するはずがない。金大妃自身が名家の出であったため、保守派と改革派の争いは余計に激化した。
もっとも、保守派も一度は王を懐柔しようと目論んだことはある。大妃の兄の娘、つまり姪に当たる姫を徳宗の中(チユン)殿(ジヨン)(王妃)に冊立し、搦め手から王を抱き込もうと試みたのだ。
しかし、徳宗は中殿よりは側室である伊淑儀を寵愛し、中殿は不遇の中に流産して亡くなった。中殿の亡くなる二年前、大妃は中殿にとっては目障りな伊淑儀を消すため、まだ若かった徳宗に讒言し、毒を賜るようにと進言した。大妃の計略により、伊淑儀は姦夫と密通した罪を着せられ、十八歳の若さで服毒死した。
後にそれは大妃の企みであると発覚したものの、時既に遅く、伊淑儀は亡くなっていた。大妃はそれだけでは飽きたらず、伊淑儀の位階を死後、剥奪した。
