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約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever

第6章 契り

 まさか、幽霊?
 それでなくとも、宮殿には政争、或いは謀で無念の死を遂げた幾多もの亡霊、死霊が成仏することなくさまよい歩き、その怨念は宮殿の壮麗な瓦の数よりも降り積もっているという。
 花芳が怖々ともう一度、物陰を見ると、どこかで見たことのある顔が覗いていた。
「あなた―」
 この太り肉(じし)の女官は、あまりに印象が強いため、直接話したことはなかったけれど、よく憶えていた。確か、大妃殿に詰める女官だ。
「あ、あ、あのっ」
 女官がいきなり花芳の腕を掴んだ。
「何をするの?」
「と、とにかく。わ、私と来て」
 どもり癖のあるらしい女官は到底女とは思えない力で否応なく花芳の手を引っ張ってゆく。
「ねえ? 一体、何がどうしたっていうのよ」
 花芳が半ば引きずられるようにしてその女官に付いてゆきながら訊くと、彼女が真顔で言った。
「たっ、たっ、大変なのよ。崔尚宮さまのところの、い、いっ、臨女官が。わ、私、何度も誰かに言おうとしたんだ、けど」
「臨女官―?」
 花芳が小首を傾げた。
 そういえば、臨女官の姿を丸半日見かけていない。十年前、臨女官が入宮した当時、花芳もまたその少し前に入宮したばかりだった。その頃、彼女はまだ十歳の少女にすぎず、六つ年上だという臨女官は実の姉のように優しく花芳を可愛がってくれた。
 親許が恋しくて物陰で泣いていた花芳を抱きしめ、泣き止むまでずっと背を撫でてくれた。彼女は、そのときのことをいまだに忘れてはいない。
 臨女官が十年ぶりに再入宮してきたときも、誰もがそっぽを向いた中で、花芳だけは臨女官に臆せず接した一人だった。
 後宮女官にとって、国王の眼に止まり、その寵愛を受けることは最大の栄誉であり、夢でもある。臨女官が国王殿下のお気に入りで―一部では既に夜伽を務め、寵愛を受けているという噂もある―、無断で出宮したことを咎められないばかりか、王自らの御意で莉彩を再入宮させたという事実に対して、他の女官たちは少なからず憤りを憶えていた。
 その中にはむろんのこと、玉の輿に乗った臨女官に対しての嫉妬心が大いにある。

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