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約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever

第5章 想い

ただし、その好きな男というのが今を遡ること五百六十年前の朝鮮国王だ―と言えば、莉彩は気違いと思われるか、もしくは相手を馬鹿にしていると激怒されたことだろう。
 そう、今では莉彩自身ですら、彼―朝鮮を統べる国王徳(ドク)宗(ジヨン)と恋に落ちたことが信じられないときがある。あれは束の間見た美しい幻であったのではないかと。
 実際、そうであってくれた方が莉彩にはよほど良かった。たとえどれほど困難な障害が立ちはだかっていようと、想う相手が同じこの現代―二十一世紀に生きる人であれば、まだしも一縷の望みは持てたはずだ。
 が、よりにもよって莉彩の愛した男は、はるか時の向こうにいる人だった。
 十年前の秋のある日、車に轢かれそうになった莉彩は、危ういところで時を飛び、約五百五十年前の朝鮮へと行った。そこで徳宗と知り合い、王とは知らずに惹かれ、恋に落ちたのだ。
 その時代で四ヵ月を過ごし本来いるべきはずの二十一世紀の日本に戻ってからも、一日たりとも王を忘れた日はなかった。
―逢いたい。
 日に幾度、切なく疼く胸の想いに堪え切れなくなり、涙しそうになったことだろう。たったひとめでも良い、あのひとに逢わせてくれるというのなら、今、自分が持っているものすべて―この生命すら投げ出しても良いと思うほどに逢いたかった。
 あなたのいないこの(現)世界(代)は、あまりに淋しすぎる。私は何をしていても、自分が本当に生きているという気がしない。
 多分、私は、身体だけはこの現代に戻ってきたけれど、心はあなたのいる朝鮮王朝時代に置いてきてしまったのだろう。だから、何をしても―美しい花を見ても、あなたと一緒にこの花を見られたらと思い、夜空に浮かぶ満月を眺めては、あなたと最後に別れた朝のことを思い出して、泣かずにはいられない。
―私ったら、また、あの男(ひと)のことを考えてる。
 莉彩は自らの想いを振り払うように、小さく首を振る。一時間以上かけて入力し終えた明日の会議用の資料をざっと眺め、入力ミスがないかどうか確認する。
 後は、これを人数分コピーしておけば完了だ。
 自活していると言えば聞こえは良いが、この会社は莉彩の父が常務を務める大手アパレル・メーカーの支社であり、てっとり早くいえば、莉彩はコネでこの会社に入ったのである。

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