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君の体温は義務だった

第3章 体温

何か声をかけようと思った。

けれど、何を言えばいい?
『こんにちは』?『お久しぶりです』?

いや、たった三日しか経っていない。そもそも、俺たちはお互いの名前すら知らないのだ。

反射的に、小さく会釈をした。

相手も、ほんの少しだけ驚いたように目を見開き、ほほえんだ。

それだけだった。

押し寄せる朝の人の流れに押されるようにして、俺たちはそれぞれ反対方向へ歩き出した。

数歩進んで、猛烈に振り返りたくなった。

……いや、やめておこう。なんだか無性に恥ずかしいし、自意識過剰すぎる。

そのまま階段を上りきる。

さっきまで頭に残っていた眠気は綺麗さっぱり吹き飛び、胸の奥が妙に軽くなっていた。

「……笑った。」

ぽつりと、勝手に言葉が漏れていた。

すれ違う直前、彼がほんのわずかに見せてくれた表情がリフレインする。

最初に会った時の緊張した顔、ぽろぽろと零した泣き顔、そして最後に見せてくれた、あの柔らかい笑顔。

それを、また見ることができた。
ほんの数秒、すれ違っただけだったのに。

胸の奥から、じんわりとあたたかい感情が一気に込み上げてくる。

心から、嬉しいと思った。

……なんでだ?

理由は自分でも分からない。
ただの偶然、駅の階段ですれ違っただけだ。本当にそれだけなのに、どうしてこんなに跳ね上がるほど嬉しいんだろう。

口元が勝手に緩んでいくのが分かった。

まずい、絶対に今変な顔をしている。自分でも引くくらい、ヘラヘラと笑ってしまっている。

なんだこれ。気持ち悪いな、俺。

そう自覚しているのに、一度緩んでしまった口元はどうしても元に戻らなかった。

駅を出て職場へ向かう頃には、自分でも隠しきれないくらいの笑顔になっていた。

今日は、何かいいことがありそうな気がする。

何の根拠もありはしないけれど、足取りまでどこか軽かった。

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