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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第1章 《槇野のお転婆姫》

 男が指図しただけで、またあの二人が進み出てきた。咄嗟に身の危険を感じて退こうとしたものの、一人に手を捉えられてしまった。
「止めて」
 泉水は逃れようと、渾身の力で抗った。だが、所詮は十七の娘と屈強な男では比べものにならない。剣の腕ならば並の男には負けはせぬものを口惜しいが、哀しいかな、力では及ばないのは当然だ。
 その隙に、泉水の身体は軽々と抱きあげられていた。何と泉水を抱きあげているのは、秋山某であった。
「これからたっぷりと可愛がってやるぞ?」
 生暖かい息が顔に吹きかけられ、嫌悪感に膚が粟立つ。町人の母子が震えながら、その様を見つめていた。
「放してよ」
 泉水は手脚をやみくもに動かして暴れた。
「ホウ、こいつはなかなか、調教し甲斐のありそうな。狩の獲物は容易く手に入っては、つまらぬからな」
 嫌らしげな笑いに、下卑た視線。泉水が初めて見る男の表情だった。本能的な恐怖が身体の奥底から湧き上がってくる。
 その時、鋭い一喝が飛んだ。
「お前ら、止めねえか」
 声と共に現れたのは、旗本奴どもと似た年格好の若い武士である。
「何だ何だ、昼日中から因縁つけて、女を弄ぼうってえその了見が気に入らねえな」
 男は秋月の胸倉を掴むと、いきなりその顎を蹴り上げた。相手の一瞬を突いた見事な鮮やかさである。弾みで秋月が泉水から手を放し、泉水は地面に投げ出される。その拍子に腰を打ち、鈍い痛みが走った。
「貴様、いずこの家中の者だ」
 秋月が甲走った声を上げた。怒りのあまり、額に青筋が浮かんでいる。
 突如として出現した男が肩をすくめて見せる。
「女の前で格好つけるわけじゃねえが、名乗るほどの名前は持ち合わせちゃいねえよ」
「貴様、どこまで人を馬鹿にするつもりだ」
 秋月が怒りに顔を赤黒く染めている。
 男は飄々とした様子で言った。
「別に。まあ、しかし、馬鹿なことをしでかしゃア、馬鹿にされても文句は言えめえ」
 と、どこまでも人を食ったような物言いは冗談なのか本気なのか判らない。
「ぶ、無礼な。許せぬ」
 秋月が刀を抜こうとしたその時、脇から長身の男が耳許で何やら囁いた。

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