
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第16章 嵐
「私はけして、諦めてはおりませぬ。お方さまはまだ十八のお若さ、まだまだこれからではございませぬか。お世継ぎはいずれ、必ずやご誕生になられましょう。殿もお方さまお一人をおん大切に思し召されておいでであれば、脇坂どのの世迷い言なぞ何のお気になさることがありましょうや」
時橋は微笑んで泉水を見つめた。
それは、真の母が娘に向けるような慈愛に満ちたまなざしに他ならなかった。
「私はお方さま、いつも口うるさいことばかり申し上げているくせに、あなたさまの、そのずっとお変わりなき明るさ、屈託のなさに本当は救われておるのでございます。奥方さまらしくおなりあそばせと申し上げておきながら、その傍らではご実家にいた頃と何ら変わりなきお方さまのお姿を見るにつけ、ホッと致します。我ながら随分と矛盾した心持ちで、このようなことは普段なら口が裂けてもお話してはならぬのでごさいますが」
「時橋」
泉水の眼が潤んだ。
「お方さまのいつまでもお変わりにならぬ天真爛漫さは、私の心の救いでございます。お転婆な姫さまを拝見する度に、口では煩く申し上げてはおりますが、ああ、この方こそ私がお育て申し上げた姫さまなのだと何やら心のどこかで安堵するような。畏れながら、榊原の殿もお方さまのそのようなところに惹かれておいでなのではないかと拝察申し上げます」
時橋は泣き出した泉水にそっと手を差し伸べた。泉水はそのまま時橋の懐に飛び込んだ。
「これは、あくまでも噂にございます。それを十分にお含みおいて頂いた上で、お聞き頂けますか」
時橋は泉水の艶やかな髪をそっと指で梳いた。それは、幼い頃、ベソをかいて泣いた泉水を懐に抱いてなだめてくれた優しい乳母の想い出につながる。夜半、怖い夢を見て急に泣き出した泉水を、時橋はいつまでも腕に抱きしめていてくれた。あの時、真っ暗な闇の中でひたすら抱きしめてくれた腕がいかほど力強く思われたことか。
父槙野源太夫は勘定奉行の前は町奉行を務めていた。一人娘の泉水を気にかけてはいても、実質的には奉行としての日々のお勤めに忙しく、到底家庭を顧みられるような状況ではなかった。そんな中、五歳で母を失った泉水を育て、心の支えとなり続けたのは時橋だったのだ。
時橋は微笑んで泉水を見つめた。
それは、真の母が娘に向けるような慈愛に満ちたまなざしに他ならなかった。
「私はお方さま、いつも口うるさいことばかり申し上げているくせに、あなたさまの、そのずっとお変わりなき明るさ、屈託のなさに本当は救われておるのでございます。奥方さまらしくおなりあそばせと申し上げておきながら、その傍らではご実家にいた頃と何ら変わりなきお方さまのお姿を見るにつけ、ホッと致します。我ながら随分と矛盾した心持ちで、このようなことは普段なら口が裂けてもお話してはならぬのでごさいますが」
「時橋」
泉水の眼が潤んだ。
「お方さまのいつまでもお変わりにならぬ天真爛漫さは、私の心の救いでございます。お転婆な姫さまを拝見する度に、口では煩く申し上げてはおりますが、ああ、この方こそ私がお育て申し上げた姫さまなのだと何やら心のどこかで安堵するような。畏れながら、榊原の殿もお方さまのそのようなところに惹かれておいでなのではないかと拝察申し上げます」
時橋は泣き出した泉水にそっと手を差し伸べた。泉水はそのまま時橋の懐に飛び込んだ。
「これは、あくまでも噂にございます。それを十分にお含みおいて頂いた上で、お聞き頂けますか」
時橋は泉水の艶やかな髪をそっと指で梳いた。それは、幼い頃、ベソをかいて泣いた泉水を懐に抱いてなだめてくれた優しい乳母の想い出につながる。夜半、怖い夢を見て急に泣き出した泉水を、時橋はいつまでも腕に抱きしめていてくれた。あの時、真っ暗な闇の中でひたすら抱きしめてくれた腕がいかほど力強く思われたことか。
父槙野源太夫は勘定奉行の前は町奉行を務めていた。一人娘の泉水を気にかけてはいても、実質的には奉行としての日々のお勤めに忙しく、到底家庭を顧みられるような状況ではなかった。そんな中、五歳で母を失った泉水を育て、心の支えとなり続けたのは時橋だったのだ。
