
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第19章 すれちがい
ただ互いを労り合い、助け合って人生という道を歩むことはできないのだろうか。美しい景色や花を共に眺め、その美しさを語り合い、そっと触れ合って温もりを確かめるだけでは、それだけでは人を愛することにはならないのだろうか。
愛するということは、常に肉欲の交わりや性愛を伴うものなのか、泉水には理解できないことであった。
「されど、いやなのじゃ。どうしても、殿に触れられると、恐怖に身がすくんでしまう。一刻も早く終わって欲しいと、そればかり考えてしまう」
泉水は、たまらず泣きじゃくった。
時橋は痛ましげな眼を向け、すすり泣く女主人を見つめる。
時として、泉水のように、いささか潔癖すぎるほどに男との交わりを厭う女がいる―、そのことは時橋も知っている。
泉水自身は何も悪気があるはずもなく、本当に男女の交わりそのものに嫌悪感を抱いているのだ。それは生理的というか、本能的な感情で、理性とか努力で何とかなるものではない。むしろ、当人が辛抱すればするほど、余計に行為への嫌悪感は大きくなってゆく。
泉水がそんな風に生まれついたのは、全く不幸な偶然としか言いようがない。が、それにしても、泰雅が泉水を求めるのもまた、尋常ではない。元々、家臣たちの眼をそばだてるほどの寵愛であったのが、次第に度を超して、最早誰が見ても狂っているとしか言いようがない溺れぶりだ。
お家にとって当主夫妻の仲睦まじいのはけして悪しきことではない。むしろ歓ぶべきはずだが、最近の泰雅のあまりに度を超えた泉水への執心には、流石の重臣たちも眉をひそめていた。
泉水への寵愛が狂おしいほどのものになったからとて、泰雅が政務をなおざりにするわけではなく、普段の生活には全く支障をきたしてはいない。
むしろ、年貢を減らし、民の負担を軽減することによって泰雅の領内での民からの評判は上がる一方で、〝名君〟と崇める者まで出始めている。
しかし、熱愛するといえば聞こえは良いが、家臣たちにしろ奥向きに仕える女たちにしろ、泉水当人が泰雅の惑溺をけして歓んではいない―、むしろ嫌がっていることが判るだけに、何もあそこまでしなくともと眉をひそめたくもなるのだった。
愛するということは、常に肉欲の交わりや性愛を伴うものなのか、泉水には理解できないことであった。
「されど、いやなのじゃ。どうしても、殿に触れられると、恐怖に身がすくんでしまう。一刻も早く終わって欲しいと、そればかり考えてしまう」
泉水は、たまらず泣きじゃくった。
時橋は痛ましげな眼を向け、すすり泣く女主人を見つめる。
時として、泉水のように、いささか潔癖すぎるほどに男との交わりを厭う女がいる―、そのことは時橋も知っている。
泉水自身は何も悪気があるはずもなく、本当に男女の交わりそのものに嫌悪感を抱いているのだ。それは生理的というか、本能的な感情で、理性とか努力で何とかなるものではない。むしろ、当人が辛抱すればするほど、余計に行為への嫌悪感は大きくなってゆく。
泉水がそんな風に生まれついたのは、全く不幸な偶然としか言いようがない。が、それにしても、泰雅が泉水を求めるのもまた、尋常ではない。元々、家臣たちの眼をそばだてるほどの寵愛であったのが、次第に度を超して、最早誰が見ても狂っているとしか言いようがない溺れぶりだ。
お家にとって当主夫妻の仲睦まじいのはけして悪しきことではない。むしろ歓ぶべきはずだが、最近の泰雅のあまりに度を超えた泉水への執心には、流石の重臣たちも眉をひそめていた。
泉水への寵愛が狂おしいほどのものになったからとて、泰雅が政務をなおざりにするわけではなく、普段の生活には全く支障をきたしてはいない。
むしろ、年貢を減らし、民の負担を軽減することによって泰雅の領内での民からの評判は上がる一方で、〝名君〟と崇める者まで出始めている。
しかし、熱愛するといえば聞こえは良いが、家臣たちにしろ奥向きに仕える女たちにしろ、泉水当人が泰雅の惑溺をけして歓んではいない―、むしろ嫌がっていることが判るだけに、何もあそこまでしなくともと眉をひそめたくもなるのだった。
