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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第24章 再会

 光照の瞳は遠い。はるかなまなざしは泉水に向けられてはいても、泉水を素通りしているようだ。恐らく、光照が見つめているのは若き日々なのだろう。
 光照は淡々と続ける。
 だが、当時、照子と名乗っていた光照にも転機が訪れる。結婚八年目ににして漸く待望の懐妊が判明したのである。やがて、照子は月満ちて、男児を産んだ。
 藤原家はその屋敷が綾小路にあることから、〝綾小路どの〟とも呼ばれ、古くは五摂家の一つ一条家から枝分かれした由緒ある家格だ。照子自身も同じ一条家の流れを汲む公家の娘として生まれ育った。たとえ、今は中流貴族にすぎなくても、照子にはその誇りがあった。その由緒ある中納言家の跡取りとなる男の子の母となったのだ。照子の誇らしさ、歓びはひととおりではなかった。
 照子は、幾松(いくまつ)と名付けられた息子の母として幸せな日々を過ごしていた。幾松が二歳を迎えたある日、良人頼継がひそかに側妾を囲っていることを知った。頼継の隠し女は町家の女で、元は色宿の女―遊女上がりだと聞いた。頼継はその女郎を身請けして、別邸に住まわせていたのである。頼継は優柔不断で、生真面目だけが取り柄のような凡庸な男であった。その男が妻である照子には内緒で側女を持っていたことに、彼女は大変な打撃を受けていた。
 たとえ愚鈍な男でも、照子は良人を愛していたのである。頼継は平素から恐妻家で有名、妻をはばかり妾の一人も持てない不甲斐なさよと、周囲から嘲笑されているのを知らぬわけではなかった。
 照子の怒りは凄まじかった。良人に裏切られたという想いは大きく、憤懣やる方なかった。そして、その中に照子の怒りを更に決定的にする事件が起こった。頼継の側妾の懐妊が発覚したのだ。この時、照子は心を決めた。
 自分を裏切った良人やその側妾に復讐をしてやるのだ。照子はひそかに知り合いの僧侶に祈祷を頼んだ。表向きは良人頼継の出世と健康を祈願してのものであったが、内実は側妾とその腹の子を呪詛するという怖ろしいものだった。
 それから数ヶ月後、女はついに出産のときを迎えたが、生まれた子は既に息絶えていた。死産した赤子は姫であったという。女は子の後を追うように、産後の肥立ち良からず亡くなった。

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