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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第27章 黒い影

 考えれば考えるほどに、後から後から涙が溢れ出て止まらない。そのか細いた肩に、時橋はそっと手を添えた。
「姫さま、黎次郎さまは、必ずお判りになって下さいます。姫さまがどれだけ黎次郎さまを慈しみ愛されていたかも、どれほどの迷いと哀しみの果てに脇坂どのに託されたかも」
「時橋」
 泉水は時橋の胸に顔を伏せて泣いた。
 自分にはいつでも、こうして抱きしめてくくれる優しい女がいた。だが、黎次郎には、そんな存在はいないのだ。
 そう思うと、今更ながら子を手放した我が身の罪深さをひしひしと感じずにはおれない。我に返り、背後を振り向いた時、既に赤児の泣き声は聞こえるはずもなく、石段を降りきった先に続く山道にも脇坂の姿はなかった。
―とうとう、行ってしまった―。
 眼下には、山道がつづら折りになって延々と続いている。山道に沿って生い茂る山桜の樹の花は殆どが散り、代わりに萌葱色の若葉が燃え立つようであった。泉水は抜け殻になり果てたかのような虚ろな心でその光景を眺めた。
 一陣の風が吹き渡る。気紛れな春の風は、わずかに散り残っていた花びらを巻き上げ、散らしてゆく。

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