
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第34章 涙
何かが、泉水の中で大きく変わり始めようとしていた。その変化が何なのか、当の泉水でさえまだしかとは判らない。しかし、確実に何かが変わろうとしている。それはとりもなおさず、この三ヶ月間、泉水を辛抱強く見守り続けてくれた兵庫之助の優しさのお陰だろう。最初の良人泰雅は泉水をいつも力ずくで組み敷き、想いを遂げた。泉水の気持ちなど頓着せず、自分の欲望のままにふるまった。泰雅にとって、泉水は自分がただの性的な慰み者にすぎないと思わざるを得なかった。
だが、兵庫之助は違った。最初こそ、力で泉水を思いどおりにしようとしたものの、泉水の気持ちを聞いてからは一切無理強いをしようとはしなかった。その忍耐が泉水の警戒心と恐怖心を解き、信頼と愛情を大きく育てたのだ。
いずれ、兵庫之助と自分は結ばれるのではないか。そんな予感がある。が、そう考えても、不思議なことに、泉水は恐怖も感じないし、逃げ出したいと思わなかった。むしろ、かすかな胸のときめき―、はしたないと思いつつも、兵庫之助の逞しい胸に引き寄せられたときの高鳴りを思い出してしまう。
昨日の今日で、ついあの息をもつけぬほどの荒々しくも情熱的な口づけを思い出してしまった。
―私ったら、はしたない。
泉水はますます頬を染めながら、うつむいた。こうして見ると、普段はいつかつい印象で強面の兵庫之助だが、なかなか整った顔立ちをしている。兵庫之助にじいっと見つめられているのを意識すればするほどに、余計に顔が赤くなる。
「用事も早く片付くだろう。昼前までには帰ってくるから、昼は鰻でも食いにいこう」
兵庫之助が笑いながら言う。
「それとも、飯よりは簪か紅の方が良いか? そうだ、飯を食った帰りにどこかで何か買ってやろうか」
兵庫之助がこんなことを言うのは珍しい。
泉水が眼を見開くと、兵庫之助が笑った。
「いつも家の中に閉じこもって他人様の着る晴れ着ばかり縫ってちゃア、不憫だ。たまには、少しくらい贅沢ってものをさせてやりてえ」
泉水は普段は仕立物の内職に精を出している。代書屋の収入は知れているゆえ、少しでも家計の足しになればと始めた内職であった。
だが、兵庫之助は違った。最初こそ、力で泉水を思いどおりにしようとしたものの、泉水の気持ちを聞いてからは一切無理強いをしようとはしなかった。その忍耐が泉水の警戒心と恐怖心を解き、信頼と愛情を大きく育てたのだ。
いずれ、兵庫之助と自分は結ばれるのではないか。そんな予感がある。が、そう考えても、不思議なことに、泉水は恐怖も感じないし、逃げ出したいと思わなかった。むしろ、かすかな胸のときめき―、はしたないと思いつつも、兵庫之助の逞しい胸に引き寄せられたときの高鳴りを思い出してしまう。
昨日の今日で、ついあの息をもつけぬほどの荒々しくも情熱的な口づけを思い出してしまった。
―私ったら、はしたない。
泉水はますます頬を染めながら、うつむいた。こうして見ると、普段はいつかつい印象で強面の兵庫之助だが、なかなか整った顔立ちをしている。兵庫之助にじいっと見つめられているのを意識すればするほどに、余計に顔が赤くなる。
「用事も早く片付くだろう。昼前までには帰ってくるから、昼は鰻でも食いにいこう」
兵庫之助が笑いながら言う。
「それとも、飯よりは簪か紅の方が良いか? そうだ、飯を食った帰りにどこかで何か買ってやろうか」
兵庫之助がこんなことを言うのは珍しい。
泉水が眼を見開くと、兵庫之助が笑った。
「いつも家の中に閉じこもって他人様の着る晴れ着ばかり縫ってちゃア、不憫だ。たまには、少しくらい贅沢ってものをさせてやりてえ」
泉水は普段は仕立物の内職に精を出している。代書屋の収入は知れているゆえ、少しでも家計の足しになればと始めた内職であった。
