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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第35章 哀しみの果て

 気が付けば、泉水は毎夜、泰雅と過ごす褥で、自分でも信じられないような乱れ様を見せるようになっていた。かつて仰向けになった男の上に跨れと命じられ、泣いて嫌がった女が、今は自ら男の上に跨り腰をくねらせているのだ。むろん、最初は泰雅を惑わすためだと自分に言い聞かせ、内実は悲壮な覚悟で臨んだ夜であったが、実際には下から男に突き上げられる度に、襲ってくる快感の波に翻弄され、乱れに乱れた泉水であった。
 まるで、自分ではない別の女が身体に乗り移ったような変貌ぶりである。泰雅は、泉水のこの変わり様を殊の外歓んだ。ますます泉水に惑溺し、その寵愛は度を超したものになってゆく。
 そして、泉水は昼間、閨での乱れよう、情熱を片鱗も見せることなく、その美しい面に微笑すら浮かべることもない。泰雅はこの熱愛する妻を何とか微笑ませたいと、商人に命じて美々しい櫛や簪、豪奢な打掛、小袖と狂ったように作らせた。それでも、泉水は、金にあかせて贅を凝らした細工品を見ても、どれほど彩な着物を見ても嬉しげな顔を見せなかった。
―榊原のお殿さまの奥方さまは月の姫のように美しきお方だが、その蒼白い月のような冷ややかな美貌で男を虜にする魔物のような女だというぞ。
―そうだ、氷のように冷たい美貌で、男の魂を喰らい尽くしてしまうというではないか。怖え、怖え。くわばら、くわばら。たとえ、どのような別嬪でも、魂まで喰われちまったら、おしめえだ。
 そんな口さがない噂が江戸の町にまでひそやかにひろがっていた。
 むろん、屋敷の奥深くで暮らす泉水の許には、そのような噂は入らない。が、榊原の屋敷においても、家臣や腰元たちの間で似たような会話が始終囁かれていた。
―殿は、奥方さまに魂まで奪われてしもうたと見える。
 重臣たちは眉をひそめ、主君とお家のゆく末を憂えていた。

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