
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第35章 哀しみの果て
泉水は立ち上がった。泰雅は隣でぐっすりと寝入っているようだ。音を立てないように細心の注意を払い、寝所を出てゆく。ここは泉水の寝間ではなく、奥向きの当主専用の寝所である。かつて褥を共にする夜は、大抵は泉水の寝所を泰雅が訪れていたが、今は別に用意されている寝所を使うことが多い。ここは当主が奥に渡った際に女と夜を過ごすためのもので、正室だけでなく、側室と褥を共にするときも使う。従って、お千紗と褥を共にした際もこの寝所を使ったはずだ。
寝所の近くには、奥女中の姿も見えなかった。泉水はそれを幸いに、廊下に出た。
細い月が夜空で朧に滲んでいる。庭ですだく虫の音(ね)が夜のしじまの底から響いてくるようであった。
ふいに蒼い蝶が眼の前をよぎる。泉水はハッとして、蝶を眼で追った。ひらひらと優雅に美しい羽根をはためかせ、蝶はまるで誘うかのように泉水の少し前方を飛んでゆく。
泉水は蝶に導かれ、廊下をすべるように歩いた。蝶が止まった。忙しなく羽根を動かし、泉水を差し招く。朧な月が投げかける光が、蝶を夜陰に浮かび上がらせる。繊細な模様で飾られた羽根を彩るのは鮮やかな蒼、その蒼い蝶が羽根を動かす度、銀の粉がまるで銀砂子を撒くように辺り一面にパッと散り、舞う。
この世の生きものとは思えぬほど、禍々しいほどに美しき蝶である。
―兵庫之助さま、お待ち下さりませ。本懐を遂げた暁は、私も必ずお後を追いまする。泉はけして兵庫之助さまだけをお一人で逝かせはしませぬ。
そう、泰雅を殺した後、泉水は自らも生命を絶つつもりでいる。どうせ榊原家の当主、しかも良人を殺した身で、生きてはいられまい。むざと捕らえられ処刑されて生き恥をさらすよりは、潔く自害して果てる覚悟であった。
泉水は蒼い蝶を魅入られたように見つめながら、暗い想いに浸った。
その時。パサリと音がして、足許に何か落ちた。その音で我に返り、腰を屈めて落ちた物を拾おうとする。
泉水は息を呑んだ。泉水の足許に、月光に照らされた小さな守袋が落ちている。
「兵庫之助さま―」
守袋を拾い上げた泉水は、宝物のようにそっと胸に抱いた。
寝所の近くには、奥女中の姿も見えなかった。泉水はそれを幸いに、廊下に出た。
細い月が夜空で朧に滲んでいる。庭ですだく虫の音(ね)が夜のしじまの底から響いてくるようであった。
ふいに蒼い蝶が眼の前をよぎる。泉水はハッとして、蝶を眼で追った。ひらひらと優雅に美しい羽根をはためかせ、蝶はまるで誘うかのように泉水の少し前方を飛んでゆく。
泉水は蝶に導かれ、廊下をすべるように歩いた。蝶が止まった。忙しなく羽根を動かし、泉水を差し招く。朧な月が投げかける光が、蝶を夜陰に浮かび上がらせる。繊細な模様で飾られた羽根を彩るのは鮮やかな蒼、その蒼い蝶が羽根を動かす度、銀の粉がまるで銀砂子を撒くように辺り一面にパッと散り、舞う。
この世の生きものとは思えぬほど、禍々しいほどに美しき蝶である。
―兵庫之助さま、お待ち下さりませ。本懐を遂げた暁は、私も必ずお後を追いまする。泉はけして兵庫之助さまだけをお一人で逝かせはしませぬ。
そう、泰雅を殺した後、泉水は自らも生命を絶つつもりでいる。どうせ榊原家の当主、しかも良人を殺した身で、生きてはいられまい。むざと捕らえられ処刑されて生き恥をさらすよりは、潔く自害して果てる覚悟であった。
泉水は蒼い蝶を魅入られたように見つめながら、暗い想いに浸った。
その時。パサリと音がして、足許に何か落ちた。その音で我に返り、腰を屈めて落ちた物を拾おうとする。
泉水は息を呑んだ。泉水の足許に、月光に照らされた小さな守袋が落ちている。
「兵庫之助さま―」
守袋を拾い上げた泉水は、宝物のようにそっと胸に抱いた。
