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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第7章 溶けてゆく心

 十七歳のときには、昼の御膳の羮に髪の毛が混じっていたのを、誰にも見られぬようさっと指でつまみ、取りのけた。もし殿の御膳に異物が混入していたことが判れば、厨房の者や運んできた腰元が厳しく咎められる。泰雅は咄嗟に機転を利かせ、無用に罰せられる者が出るのを防いだのであった。
 そんな泰雅の情をわきまえた計らいは、広く知られることとなった。
 またあるときは、刺客が邸内に潜んでいたことがあった。その者はかつて泰雅の父に仕えていた家臣の倅であったが、父が不当な扱いを受け自刃したと称し、泰雅を親の敵と狙っていたのだ。事実はその者の逆恨みであったのだが、泰雅はかなりの手練れである刺客の一撃を難なくかわし、逆に相手を素手で組み伏せた。
 これらのことは、泰雅がただ者ではないことを暗に示していた。
 しかし、その一方で、泰雅は十五を過ぎた頃より奥向きの若い腰元に次々と手を付け、やがて屋敷内の女だけでは飽きたらず、夜な夜な町へお忍びで出ては、女を漁るようになった。美しい女、色香の漂う女であれば、町娘、人妻であろうと頓着しない。
 やがて、榊原の若い殿さまは“女狂い”とまで囁かれるようになった。ただの女好きの阿呆なのか、それとも、ひそかにいわれるように実は切れ者なのか、自らが仕える殿さまが名君なの暗君なのか―、家臣たちですら見当がつかない。そんな幾つもの話を、泉水は耳にした。
 それでも、泉水は信じている。泰雅は秋月兵庫之助に襲われそうになった泉水を助けてくれた。あの時、泰雅は泉水をどこの誰とも、よもや自分の妻であるとは知らなかったのだ。
 泰雅は、けして好色なだけの暗愚な男ではないと、泉水は信じている。
 泰雅は降りしきる雨を無表情に見つめている。

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