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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第2章 ひとりぼっちの猫

 しばらく歩いたところで春泉は立ち止まり、振り返った。留花がうつむいて立っているのが遠目に見えた。あの女中が近づき、留花の肩を叩いて何か言っている。どうやら慰めているようだ。
 その光景を見ている中に、身体の奥底から言い知れぬ怒りが湧き上がった。あの女中が春泉に向ける眼と留花に向けるそれとは、どうしてああまで違いがあるのか? 
 一体、自分が何をした? 留花は何もかもに恵まれている。美しく愛らしい容姿と、誰からも好かれ大切にされる優しげな心。自分にはないすべてを持つ留花を自分が憎んで、どこが悪い?
 現に、あの女中は春泉を見るときは、まるで蛇か毛虫でも見るような厭わしげな眼をするくせに、留花には温かな、娘を見る母親のような眼を向けているではないか!
 どうして、誰もが留花の味方ばかりするのだ、御仏は全く不公平だ。
 春泉は留花に対して敵意どころか、憎しみすら抱いた。人は春泉の不満を聞いて、嘲笑うだろう。
 留花と春泉では、住む世界が違う。光王と春泉の住む世界が交わらないように、留花と春泉が解り合える日が来るはずがない。光王と留花は同じ世界の住人ではあるが、春泉が彼等の世界へ行くことはできないのだ。
 所詮、後ろ盾たる父親の財力で思うがままの生活を送れる自分の競争相手にはならないのに。
 春泉はいつしか自分の部屋まで帰ってきていた。後ろを振り返っても、玉彈はいない。恐らく留花に母の晴れ着の仕立賃を渡してやっているのだろう。
 春泉は自室の部屋の前に佇み、今を盛りと咲く木瓜(ぼけ)の花を見上げた。途中で椿をひとしきり眺めたのは憶えているけれど、先刻、ここを通るときには、この花には眼もくれなかった。
 何故だろう、無性に何もかもが空しかった。先刻、留花と対峙したときには、すべてが腹立たしくてならなかったのに、今はもうやるせない怒りは消え、代わりに、どうしようもない空しさが彼女を取り巻いていた。
 屋敷に戻った直後に降り始めた雪は、一旦は止んだかに見えたけれど、再び天から白い切片がひらひらと舞い降りてきたようだ。
 眼にも鮮やかな紅色の花に雪が落ちる。
 この雪の中を、留花は一人で歩いて町外れの家まで帰るのだ。次第に烈しくなる雪にまみれながらとぼとぼと家路を辿る留花の姿が瞼に浮かぶ。

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