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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第6章 ★Sadness~哀しみ~★

「怖じ気づいた?」
 酔っているからと我慢してきたが、流石に由梨亜も腹が立った。
「別に怖じ気づいたりはしてないんだから」
 そう言うと、三鷹のズボンのベルトに手を伸ばした。だが、勢いはともかく、肝心の手が震えだして言うことをきかない。何度も失敗している中に、三鷹がフッと笑った。
「冗談だよ、冗談。由梨亜ちゃんがそんなことまで、できっこないのは判ってるさ」
「また、からかったのね」 
 由梨亜が思わず声を大きくするのに、三鷹は何がおかしいのか、クックッと笑っている。
「もう、知らない。後は勝手にやってちょうだい。私はもう寝ます」
 口とは裏腹に、由梨亜は脱がせたばかりの三鷹の上着を畳んでいる。とりあえずソファの上に置こうとした時、背広からプンときつい香りが流れてきた。
 訝しく思い鼻を近づけてみると、毒々しい香水の匂いが嫌になるほど滲み込んでいる。
「やだ、なに、この匂い」
 吐き気を催しそうになりながらも、ソファに畳んだ上着を置いた。だが、悪臭から逃れたくて急いだために、手がすべって背広が床に落ちてしまう。
 その拍子にポケットから小さな紙片がぱらぱらと転がり落ちてきた。
「手間ばかりかかるわね」
 由梨亜は呟き、落ちてきた紙片を拾った。
 何気なく手のひらの紙片を眺め、ハッとした。〝キャバレー蝶と花 ホステス 歌織〟、〝キャバレー蝶と花 ホステス 優花〟、〝会員制ナイトクラブ グレース 鹿子〟云々、十数枚の紙片は皆、飲食店に勤務する水商売の女たちの名刺であった。
「なに、これ」
 由梨亜は汚物でも触れるように、それらの名刺を床にたたきつけた。
 自分は一人で心配しながら三鷹の帰りを待っていたのに、当の本人は呑気に飲み屋で美人のホステスたちに囲まれて鼻の下を伸ばしていたとは!
 これでは、まるで自分がピエロではないか。
「こんな時間まで、どこにいたの?」
 つい声が尖ってしまうのは、この場合、致し方なかった。
 三鷹がまた眼を開けた。
「ふうん? 俺がどこに誰といたか、気になる?」
「誰と一緒だったかなんて訊いてないわ」

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