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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第6章 ★Sadness~哀しみ~★

「あなたは私を騙した。信じていたのに、裏切ったのよ」
 刹那、三鷹の眼に決定的な絶望が宿った。
「あなたが私を騙した理由もよく判ったし。私がこれ以上、ここにいる意味はもう、なくなったわ」
 由梨亜は立ち上がった。
 心は哀しみと絶望で張り裂け、心は真っ二つに割れそうになっていた。
 まだ、自分はこんなにも三鷹を求め、愛している。ここで彼のプロポーズに〝Yes〟と言うこと自体は容易い。しかし、いずれ、後悔するときは遅からず来るに違いない。
 由梨亜の瞼に、一人の憐れな女の姿が浮かぶ。静かな海辺の病院で、ひたすら流れる時間に身を任せ、正気を手放した女性。こんなにも三鷹を愛している自分が彼に棄てられたら、やはり、三鷹の母のようになるかもしれない。
 やはり、できない。三鷹の差し出した手を取ることはできない。
 踵を返そうとした由梨亜の手をすかさず三鷹が掴んだ。
「行くな」
 突如として背後から抱きすくめられ、抱え上げられた。乱暴にソファに投げ降ろされたかと思うと、三鷹はすかさず由梨亜にのしかかってくる。
「行かせない。たとえ、どんな手段を使ったとしても、君を手放すものか」
 三鷹が強引に口づけようとする。熱い唇を押しつけられた。
「―ツ」
 三鷹が弾かれたように由梨亜から離れた。
「君はいつも俺を愕かせてくれるな。キスをして、噛みつかれたのは初めてだよ」
 三鷹は唇に薄く滲む血をぬぐった。
「三鷹さん、人の心は縛れないのよ。どれほどのお金と社会的地位があっても、身体を思い通りにしても、心まで服従させることはできないわ」
 由梨亜の眼に涙が光っていた。
「さよなら」
 由梨亜はソファからすべり降り、そのまま廊下を歩いて玄関から外に出た。
 マンションの隣は小さな公園になっていた。遊具といえば、小さな滑り台とブランコがぽつんと置かれているだけ。由梨亜が子どもの頃には、大勢の子どもたちが遊んでいたけれど、今は草が生えるに任せていて、子どもの姿を見ることはない。

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