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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第6章 ★Sadness~哀しみ~★

 マンションを出た由梨亜はどこに行く気にもなれなくて、その公園に行った。
 一台しかないブランコに乗ってみる。
 その時、シャツブラウスのポケットから音楽が聞こえてきた。
 どうやら携帯にメールが来たようだ。二つ折りの携帯を開くと、差出人は〝ミタカさん〟となっている。
 ふいに、三鷹の賑やかな声が耳奥でこだました。
―よほどこの曲が好きなんだ。携帯の着信音にもしてるんだなぁ。
 由梨亜の携帯が鳴った時、三鷹が半ば呆れ半ば感心したように言ったことがある。由梨亜は携帯の着信音を〝ラブリー・デイ〟にしている。
 それがきっかけで懐かしい彼との日々が一挙に押し寄せてきそうになり、由梨亜は慌ててメールは読まずに携帯をポケットに放り込んだ。
 勢いをつけてブランコを漕いでみる。
 一、二、三。
 と数えて、三で弾みをつけた。由梨亜を乗せたブランコが高く持ち上がり、緩い弧を描く。長年使われていなかったらしいブランコは軋み、悲鳴を上げている。
 この公園には子ども時代の数々の想い出があった。夕方、陽が暮れるまで友達とブランコを漕いで遊んでいたら、心配した母が迎えにきた。
 母に手を引かれて見上げた夕陽は蜜柑色で、この上なく温かそうに見えた。
 あの頃は良かった。母と二人だけで、ささやかな幸せに包まれて。あの幸せが永遠に続くと心から信じていた自分は何と幼かったことか。
 今、母は入院中で、自分は生まれて初めての恋を知った。そして、その恋は実らない。実らせてはいけないのだ。今は良くても、この結婚は将来的に二人を不幸にするのは眼に見えていた。
「忘れられるのかな」
 由梨亜はブランコを漕ぎながら、呟いてみる。
 たとえ忘れられなくても、忘れなければならないだろう。
 次に頭に浮かんだのは、マンションを出る時、三鷹から贈られたオルゴールだけは持ち出せば良かったという後悔であった。
 そして、大いなる矛盾に苦笑する。
 三鷹さんを忘れなければならないと思っているのに、想い出に繋がるプレゼントを持ち出せば良かったと思うなんて。

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