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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第1章 ★ 突然の辞職勧告 ★

 由梨亜の母美佐子は若くして夫を失った。といっても、何も死別したわけではない。由梨亜の父は悪い人ではなかったけれど、酔うと性格がガラリと変わる男性だったらしい。何かにつけて絡み出し、ついには暴力をふるうので、たまりかねた母はまだ幼稚園児だった由梨亜を連れて家を出た。
 以来、母は保険の外交員をしながら、女手一つで由梨亜を育て上げ大学まで出してくれたのだ。母が由梨亜の顔を見る度に、例の〝女は死に場所を〟云々の話を始めるのも心情としては判らなくもない。
 母は自分が苦労しただけに、由梨亜に同じ道を歩ませたくないと思っているのである。いつだったか、母がポツリと洩らした言葉が印象的だった。
―あのまま結婚生活を続けていれば、身体も心もボロボロになっただろうね。私はあの時、お前のお父さんと別れて良かったと思うけれど、女一人で生きていくのは想像以上に大変だよ。時には誰かの胸に縋って、思い切り泣きたいときもあったし、それができないのはとても淋しかったねぇ。
 だからこそ、母は由梨亜に結婚を迫る。
 母の気持ちも判るし、心配して貰えるのは嬉しいけれど、やはり素直に聞き入れられない自分がいる。
 結婚が人生のすべてだなんて、今時、時代錯誤もはなはだしい。そう思いながら、母のように、たった一人で涙をみせる相手もおらず気の遠くなるような年月を過ごしてゆくのも淋しすぎる。
 めぐる想いに応えはなかった。
 由梨亜は会社を出てから、何度目になるか知れない溜息をついた。家で由梨亜の帰りを待つ母には到底、退職したなんて言えやしない。それでなくとも、ここのところ、母は体調を崩しがちだ。もう十年も前に、心臓が弱っているといわれ、二週間に一度は通院しているし、薬も服用している。
 母がここまで体調を崩したのも、ひとえには自分のせいだという意識が由梨亜は拭えない。自分さえいなければ、母の苦労も半分ほどで済んだだろうにと思う。
 どうも息切れがしてならないからと、受診した病院で初めて病名を知った。安静を言い渡されたその日、由梨亜はその想いを母に告げた。
―ごめんね。お母さん。お母さんが体調を崩してしまったのも私のせいだよね。

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