テキストサイズ

偽装結婚~代理花嫁の恋~

第4章 ★惹かれ合う心たち★

 由梨亜には判らなかった。
 三鷹は何故、あんなことばかりするのだろう。幾らからかうにしたって、これでは度を越えている。からかう三鷹の方は何の気なしにやっているのだろうが、由梨亜にしてみれば、その度に心臓は煩いくらいに速くなり、身体は熱くなる。全く翻弄されっ放しではないか。
 三鷹は自分の心を好きなように揺るがせることができる。知り合ってまもない偽装結婚上の〝夫〟である彼が既に自分に対して深刻な影響力を持ち始めていることに、由梨亜も気づいていた。

 夕刻になった。由梨亜は五時を回った頃、再び病院を訪ねた。
 三階の母の部屋には、当然というべきか、母の姿はなかった。各階のナースステーションの前には待合のようなスペースがある。
 見るからに座り心地の良くなさそうな長椅子がコの字型に並んでいて、そこが患者同士や面会者と患者との談話室として使われていた。
 母はその長椅子の一つに座り、七十歳くらいの品の良い年配女性と熱心に話し込んでいる。邪魔をするのも悪いと少し離れた場所から眺めていると、母の方が気づいたらしい。話し相手の老婦人に会釈して、こちらに向かって歩いてきた。
「また、部屋を抜け出したりして」
 由梨亜が睨むと、母は笑い飛ばした。
「あの方、貝山さんっておっしゃるんだけど、とても気さくで良い方なのよ。明日にはもう退院ですって。羨ましいわねぇ。長唄の師匠をなさっているらしいから、退院したら、お稽古にでも通おうかしら」
 全く人の気も知らないで、悠長なものである。
「長唄も良いけど、そのためにはまず元気にならなくちゃ。いつ来ても、部屋にいた試しがないでしょう。また発作が起きても知らないわよ」
 廊下を並んで歩きながら、由梨亜はブツブツと不平を言った。
「今、会社の帰り?」
 問われ、慌てて頷く。面倒だが、ここに来るときは予め通勤用にしていたスーツに着替えることにしている。
「お花を買ってきたのよ」
 と、手にした小さな花束を振って見せた。
 病院の売店で買ったものだが、小さな向日葵と紫陽花は殺風景な病室に多少の彩りを与えてくれるだろう。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ