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偽装結婚~代理花嫁の恋~

第5章 ★ 逢瀬 ★

「今、その女の子はどうしてるの?」
「―死んだ」
「えっ」
 由梨亜は愕きのあまり、声を上げた。
「私立の小学校に入ってすぐだったかな。休みの日にベビーシッターが遊ばせていたんだけど、ちょっと眼を離した隙に家から外へ飛び出して、折悪しく走ってきた車に撥ねられたんだ。ほぼ即死だったらしい」
 三鷹は遠い眼で海を見つめた。
「たとえ母親は違っても、俺には妹だ。確かにその顔を見たこともない妹を憎んだことがなかったといえば、嘘になる。でも、死んじまえば良いなんて思ったことは一度もない」
 三鷹は漸く海から視線を逸らし、車椅子に乗った彼の母を見た。三鷹の母は虚空を映し出したかのような双眸を見開いたまま、身じろぎもしない。
「こんな風になってしまったから、お袋は異腹の妹が亡くなったことも知らずに済んだ。そのことが良かったのかどうかは判らないけどね。俺が日本の大学を出てニューヨークに留学して半年後に、お袋は自殺未遂を図った。あの時、俺が側にいてやったらと今でも悔やまれてならない。母は孤独だったんだろう」
 三鷹の母は宏壮な邸宅で大量の睡眠薬を飲んだ上、手首をナイフでかき切った。たとえ、どれだけ広くて立派な屋敷に住み、贅沢な暮らしをしたとしても、三鷹の母にとっての家は豪奢な牢獄にも等しかったに違いない。
 発見が早かったため、一命は取り留めた。しかし、三鷹の母がついに完全に回復することはなかった。身体の方は元どおりになったが、一度壊れた精神(こころ)は再び立ち直れなかったのだ。
「父は廃人同様になった母をまるで厄介払いするように、ここに入れた。必要な資金の他にも多額の寄付をしたそうだが、父がここに母を見舞いにきたことはたった一度もないそうだ」
 三鷹の両脇に垂らした拳がかすかに震えていた。
「俺の両親は見合い結婚だったんだ。もちろん、家同士の結びつきを強めるためのもので、当人同士の意思なんて、これっぽっちも考慮はされなかった。父には学生時代に熱烈な恋愛をしていた相手がいたとかでね。その恋人と無理に別れさせられて、母と結婚したのだと聞いている。だから、父は最初から母には冷たかった。こんな女さえいなければという想いが強かったんだろうな」

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