テキストサイズ

神さま、あと三日だけ時間をください。

第1章 ♭眠れぬ夜♭

 そうこうしている中に、夫婦の溝はまたたくまに深くなっていく。気がつけば、二人の仲は冷え切り、どうしようもないところまできてしまっていた。
 女に子どもができたと知った時、琢郎は満更でもないようだった。もしかしたら、美海との間だから、子どもを望まないのか?
 そんな風に悪い方へとばかり思考がいってしまった。当然、夫婦の営みもご無沙汰になってくる。どちらからも歩み寄れないままに日はいたずらに過ぎてゆき、形だけの仮面夫婦となってはや二年になろうとしていた。
 美海は長い物想いから自分を解き放ち、もうこれで幾度めになるか判らない溜息をついた。小さくかぶりを振り、ドレッサーのいちばん上の引き出しを開ける。手のひらに乗るほどの小瓶の蓋を開けると、少しだけ掌(たなごころ)に垂らした。
 〝男ごころを甘くくすぐる魅惑の香り、禁断の蜜の味〟。この香水は通販で買ったもので、カタログの商品説明にはそう記されていた。よくあるセックスのためのグッズがずらりと並んでいるページだ。
 これまで美海はそんなページなど開いてみたこともなかったのだけれど、流石にこのままではまずいと思い始め、思い切って購入してみたのだった。
 小瓶は悩ましげな女の肢体を象っており、いかにもその類のものらしい卑猥さと安っぽさを漂わせている。こんなものにまで頼らなければ夫の気を引けないのかと思えば、女として情けなくもあり、やり切れなくもあった。
 子どもないままに、自分はこうして空しく時を重ね、やがては老いて死ぬのを待つばかりなのだ。そう思うと、居ても立ってもおられず、叫び出したいような衝動に駆られることがある。
 それなら、いっそのこと外に出て男友達を作るとかすれば良いのかもしれないが、会社を辞めてはや十一年、既に社会から隔絶された主婦となって久しい自分に今更、行く当てもそんなチャンスもあるとは思えない。
 美海は想いを振り切るように勢いよく首を振り、手のひらに垂らした香水をうなじと胸の辺りにつけた。いつもは通気性の良い木綿のパジャマしか着ないのに、今夜のためにシルクのネグリジェを奮発して買った。以前、勤務していたデパートの高級ランジェリーショップで買ったこれは、何と一万円弱もした。はっきり言って、美海の普段着の上下合わせたよりも高い。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ